近所の県立高校に呼ばれて1年生の未来創造学習の時間(みたいな授業)の講師をしてきた。
いつものように、若手で第一稿のリハーサルをしてフィードバックをもらい修正して臨んだ。
フィードバックの中には、「そもそも考えるとはどういうことかわかっていない人、考える習慣そのものがない人というのが世の中には極めて多いので、考えるというところを深掘りしたほうがよいのではないか」との意見が多かった。
(常々言われているのですが、メガバンクの中枢の人は世間の平均ではないと)
うーーーんと悩んだわけ。
そうなのかもしれないけどホントかなぁ?
どれくらいのレベルにしたらいいのか見当がつかない。
そのために、ここまで降りればわかるだろ?という尺度に若手を使っているわけ。
考えるとはどういうことかわからないってどういうこと?
考える習慣がないってどういうこと?
わかんねーーーーーー
まぁつまり犬が星見てるときみたいなもんか
この高校は市内三番手校で、全員が全国区の大学を目指して受験するわけではない
むしろそんな人いない
だからといって学級崩壊するような手がつけられない生徒もいない
この学校の先生やってるボクの高校時代の部活の先輩曰く
「フツー」自己主張しない、印象に残らないミディアンな生徒の集まり
なんだそうだ
自分の意見を持つ
他人の意見を聞くことで集合知を得る
そのためには感情と理屈の分離、それとこれとの分離が必要
僕自身がはまったトラップ(こっちゃ感情と理屈の分離ができてるから、仕事のダメ出しやまほどしたんだけど、相手が分離できてないから「悪口ばっかり言うな!」と怒られたw
こりゃダメだと思ったわけで)
もう一段階掘り下げて
人の意見をいい意見、賛成と思ったら「いいね!」しよう
そうしないとせっかく勇気を出して意見を言った人は次から言わなくなっちゃうよ
反対意見があるときは、「その意見については」反対だ、と限定して言おう
(まぁこれは職場でも言ってるんだけど全然受け入れられてない)
これでどうだ!これならわかるだろう!
果たしてボクの講義を160匹の犬が星を見てるような顔で聞いてましたとさ
これでも難しいのか....
更なる改善を要する
終了後、先輩が生徒に向かって「配ったレジュメをよく読んで理解するよう!」と
いや先輩、だから違うんっすよ。
レジュメを読んで、それをどう思ったか、自分は賛成か反対か、なぜ賛成(反対)なのか、
他の人はどういう意見なのか、その違いがなぜなのか?
じゃぁみんなは社会全体としてどっちに向かうのか?
そういうことを考えなってことなんすよ....
この高校の生徒の未来の姿が今の職場なわけだ
AWHとの溝は埋まらない....うーむ
ひょっとして、この国の未来の「共生」とは、共産主義の強制の方が向いているんじゃないだろうか?
共生には二つの道がある
多様性の許容か金太郎飴だ
感情がないなら機械と一緒だ
金太郎飴だ