八雲立つ出雲の旅(下) | 日刊「きのこ」 skipのブログ

八雲立つ出雲の旅(下)

前回からの続きです。

 

(3日め)
ファステラウン
(カーニバル)

の日だ。
森鴎外は精進日
(せじみび)

と訳していた。

旅の最終日の朝、

お参りしたのは、


三穂津姫命と事代主神を祀る

美保神社
三穂津姫命は大和系、
事代主神は出雲系だ。
ここにも

出雲王権と大和朝廷の

合併がうかがえる。

門前の青石畳通りは、

観光ズレした感じもなく、

本物の旅情が味わえる。

(『水木しげるの古代出雲』より)

 

小泉八雲が

日本瞥見記」の中で、

弓なりにそった

かわいらしい橋もあって、

島には弁天の社が見えている

と紹介した。

 


美保関灯台から海をはさんで

雪をいただく大山を

観たかったが、

あいにく曇天で見えなかった。


この後、境港でカニを買って、

家路についた。

 

 

(後日)

帰宅してから、

今回訪問を見送った

須賀神社のことを

調べ直していた。

 

スサノオノミコトが

ヤマタノオロチを退治して、

天叢雲剣

(あめのむらくものつるぎ)を

得てから、

クシナダヒメと暮らす宮を

この地に定め、

日本最古の短歌

詠んだという地だ。

有名なその歌は、

八雲立つ出雲八重垣

妻籠みに八重垣作る

その八重垣を

という。

 

松江平野南端にある

八重垣神社も

その歌が詠まれた地

を名乗り、

水に浮かべる

恋愛占いなどを

売り物にしているが、

古事記」によれば、

「須賀の地に到りて~

其の地に宮を作りて坐しき」

とあるので、

松江市中心からは

直線距離で10km

南下した山中にある

須賀神社の方が

その地にふさわしい。

 

「もう少し、山奥に

足を伸ばせば、

砂の器』の

亀嵩(かめだけ)が

あるな」

などと考えながら、

グーグルマップを見ていた。

すると

須賀神社の裏山が

前方後円墳

見えて来た。

道に囲まれた森の形が

くびれがあって、

わずかに段築の名残も

あるように見える。

自然の山から

人工的に切り離されて

造形されたように見える。

 

丘の上にも

御祖神社の

小さな祠もある。

古くから何かしら

神聖な丘として

扱われてきた証拠である。

 

あとは丸い葺石が

たくさん見つかれば

決定打になるのだが、

現地を発掘するしかない。

 

スサノオノミコトほど

古い時代のものであるなら、

前方後円墳であるはずはなく、

前にあげた

四隅突出型墳丘墓の方が

出雲地方の文化史的に

かなっているだろう。

しかし、その点は、

改葬ということもありえる。

あるいは墳丘の造り直し

という可能性もある。

たしかに時代だけ考えれば、

ヤマタノオロチ退治神話は

古いことになるが、

スサノオノミコトは

大和朝廷系の神であるので、

前方後円墳であっても

不思議ではない。

 

ゆえに、

大和系のスサノオノミコトが

出雲国つ神の娘

クシナダヒメと結婚することは、

両政権の合併の前段であり、

さらにスサノオノミコトの

6代の後胤であるが、

すでに国つ神化した

オオクニヌシノミコトが

ふたたび、

大和系の三穂津姫命と

結婚することは、

両政権の合併の完成を

象徴的に表したものと

捉えることができよう。

 

オオクニヌシノミコトが

たくさんの名をもち、

複数の神格の統合

であることはここでは

触れない。

スサノオノミコトの

娘であるスセリビメが

オオクニヌシノミコトを

助けて、めでたく

二人で逃亡した話も、

出雲系と大和系の交流の

深さを示しているのではないか。

 

 

すみません、また文字ばかりに

なってしまいました。

ブログはもっと

気楽に読める方がいいですよね。

短く書くことは、本当に

難しいことですね。