八雲立つ出雲の旅(上)
読者のみなさま、
お忙しい中、ご訪問いただき、
ありがとうございます。
さて、今回から3回に分けて、
出雲の旅をご紹介します。
できるだけ文章少なく、
お届けしますので、
どうぞサクッと
つまんでいって下さい。
出雲大社へは
子どもの頃から
何度もお参りした。
今回もまた大社参詣のついでに、
出雲の歴史をたずねる
毘女像は
コペンハーゲンの人魚姫像
(Den lille havflue)を
想起させる可愛い像だ。
「出雲国風土記」には
次のようにある。
少し長くなるが、ご容赦ください。
天武天皇の御代、
674年7月13日のこと、
安来の海のほとりで
遊んでいた娘が
サメに襲われ
食べられてしまった。
父の語臣猪麻呂
(かたりのおみゐまろ)は、
心の限り叫んで
天地の神に
祈った。
すると、海に
百あまりのサメが
ぐるりと輪を描いて現れ、
その輪の中に
一匹のサメが
とり囲まれていた。
それと知った猪麻呂が
戈で真ん中のサメを
突き刺すと、
囲んでいたサメは
解散した。
殺されたサメを
解体すると、
娘の片足が
出て来た。
なんとも
むごたらしい話であるが、
娘を思う父親の
凄絶な復讐譚である。
八雲立つ風土記の丘では、
有名な見返り鹿を始め
たくさんの埴輪を鑑賞した。
石宮神社では、
宍道の名の由来となる
猪石と犬石を参拝、見学した。
これも「出雲国風土記」に
「その形石となりて、
猪と犬とに
異なることなし。
今に至りても猶あり。
故、宍道(ししじ)と云ふ」
とある。
多数の銅剣・銅矛・銅鐸を見学。
これらは戦争の放棄を
神に誓ったものに違いない。
「国譲り神話」は
本当のことだったのだと
もはや確信してよい。
古代出雲王墓と推定される
「よすみ」について学習し、
西谷墳墓群も見学した。
この四隅突出型墳丘墓は
古く2世紀ごろまでに
(島根県HPより出雲地域の古墳)
やがて古墳時代をむかえ、
出雲地方の大型墳墓は
前方後方墳や上方下方墳と
前方後円墳や円墳に
形を変えていくが、
これらもまた、
出雲王権と大和朝廷との合併、
いわゆる国譲りの
四隅突出型墳丘墓の上に立ち、
夕日を眺めながら、
1日めの散策を終えた。
八雲立つ出雲の旅(中)に続く。















