大阪副首都 | 日刊「きのこ」 skipのブログ

大阪副首都

どこかのラジオ放送で

高橋洋一氏が

大阪副首都構想について、

大阪に国会議事堂

建てるんでしょ

と言っていた。

 

大阪の枚方市に国会議事堂

すでにあるのは有名な話だ。

 

 

冗談はさておき、

大阪がかつて首都であったことを

ご存知ない方も

いらっしゃるのだろうか。

豊臣政権のことではない。

天皇陛下のおすまいのことだ。

 

有名な仁徳天皇

「民のかまど」は、

難波高津宮(たかつのみや)の話だ。

 

仁徳天皇の二代後の

反正天皇は、松原市の

丹比柴籬宮(たじひしばがきのみや)

おすまいになった。

 

継体天皇は、

福井から奈良にお入りになる前、

河内国樟葉宮(くずはのみや)に、

長年とどまりなさった。

 

乙巳(いっし)の変の後、

孝徳天皇は、

難波長柄豊碕宮

(なにわのながらとよさきのみや)

造営なさった。

大化の改新は

大阪発信の政治改革なのだ。

 

さらに

 

藤原京をお造りになった

天武天皇は、

難波宮を副都

正式にお定めになった。

 

大仏を建立なさった聖武天皇は、

平城京の副都

お定めになった後、

正式に難波宮に

遷都なさっている。

 

 

ところが現在、

大阪副首都構想については、

批判的な意見も

多く見られます。

 

吉本芸人によくあるように

庶民的を越えて、

下品な印象を、

大阪に対してお持ちになって、

大阪嫌いの方も多いでしょうが、

それはとても悲しいことです。

 

東京に対抗心を燃やす

大阪人もいるかも知れませんが、

みんながそうではありません。

 

日本の首都東京なのは

誰もが知っています。

それを覆そうとする人なんて

京都人以外にはいません。

大阪副都を定めたのは

藤原京・平城京の昔から

あったことなのです。

 

それに、大正12年の

関東大震災のあとには、

たくさんの人が

難を逃れて大阪に移住しました。

東京より人口が多くなった

大阪のことを、

大大阪時代といいます。

前にも書いたことですが、

シャープ(早川電機)も、

被災のため東京から

移って来ました。

おそばの富士屋の

創業者森口留吉の

その時の活躍も

ご紹介しました。

 

大阪は日本を支える

都市としての使命を

今までもこれからも

担っていると思います。

 

どうかそのためにも、

早くリニア新幹線で

東京大阪を結んで、

EXPO'70の夢を

現実のものに

していただきたいと

思います。