高野山金剛峰寺蓮花院
大学時代の友人が、
熊野古道を歩いたあと、
高野山に歩いて登りたい
ということなので、
(高野山の部分だけ)
同行することにした。
現在は、南海高野線の
九度山(くどやま)駅を起点とする
コースが一般的であるが、
ぼくたちはこのひとつ手前の駅、
学文路(かむろ)から
歩くことにした。
幼い石童丸(いしどうまる)が母親と離れて
ひとりで高野山をめざしたのが、
この学文路からである。
(石童丸の話は有名だし長くなるのでここでは割愛します)
ここには人魚のミイラがあるという。
ところが、残念なことに
このとき人魚は外出中。
拝見することはできなかった。
九度山までの道で、
道行く車のおばさんが、
「私たちも高野山にお参りに行きます」
と言って、
ぼくたちにペットボトルのお茶を
手渡してくれた。
九度山の慈尊院からは
町石道(ちょういしみち)と呼ばれる
コースを辿る。
世界文化遺産にも指定され、
わりにたくさんの人が登るので、
整備された歩きやすい道だろうと
ハイキング気分で、
完全になめていた。
前夜2時までワインを飲んでた身には
とてもつらい。
「ごめんなさい高野山」
と思いながら歩いた。
いきなり、急な坂道が続き、
ベンチも水が補給できる場所もない。
持ってきた柿の葉ずしを二ツ鳥居で食べて、
やっと身体も、復調のもよう。
そこから始まる下りでスピードアップして、
けっこういいペースで歩いていったのだが、
二ツ鳥居で一緒になったカナダ人には
途中で追い越されてしまった。
この夜お世話になったのは蓮花院。
徳川家の菩提寺として、
江戸時代には高野山でも最大の勢力を
ほこった由緒ただしい塔頭である。
実はこちらのご住職は、
大学の先輩で、元NHK職員でもある。
ぼくは以前から少々お付き合いがあった。
テレビ界からの転身もめずらしいが、
今は大僧正という最高位階になられている。
泊めていただいたのは、
いちばん奥にある「将軍の間」。
徳川将軍の高野山参詣の際に、
宿泊していた部屋である。
そんな文化財の部屋を使っていいのかと
いうような気もしながら、
お風呂のあとの楽しみが精進料理。
その精進料理をいただいたのは、
「将軍謁見の間」。
正確には謁見の間は三部屋あり、
こちらはその一番奥にあたる
将軍の座のある部屋である。
「一滴の水にも天地の恵みが
こもっています。
一粒の米にも多くの人の力が
加わっています。
ありがたくいただきます」
と唱えて、合掌。
最初にお吸い物をふくんだ瞬間、
ぼくと友人は、思わずうなった。
「めちゃくちゃうまい!」
魚肉も使えないので、かつおだしではない。
甘みのある塩を使っているのだろうが、
しょっぱいだけでなく、
とにかくうまいのだ。
登山で汗をかいて、
体がミネラルを要求していたのだろうか。
膾も高野豆腐も
ごまどうふも
てんぷらも
豆乳の豆腐なべも
みんな、本当においしい!
もちろん、今夜はアルコールも抜き。
自然に感謝の気持ちがこみあげてくる。
おん あぼきや
べいろしゃのう まかぼだら
まに はんどま じんばら
はらばりたや うん
南無大師遍照金剛。
南無大師遍照金剛。
食後にご住職のお話を伺った。
仏教はもちろん、政治経済、
そしてゴルフや芸能界、
多岐にわたった興味のつきないお話で、
ぼくたちの質問にも
気さくに答えてくださった。
実はこの写真、
ここで公開するのは、
見る人が見るとスクープにも
なりかねない画像流出なのだが、
解説がないなら、
あまり意味もわからないだろうから、
載せちゃおう。
元禄年間の絵地図なのだが、
保存状態のよさに驚かされる。
翌朝は、朝のお勤めに参列。
40分ほど正座をして、
すっかり脚がシビれてしまった。
その後、本堂内陣の見学。
そしてまた楽しみの朝食をいただく。
夢中だったので、
食べだしてから慌ててパチリ。
味噌汁がまた、昨日のお吸い物と
まったく違って、
あわせ味噌だが甘めのお味噌が
やたらにうまい。
食後には、広間で写経。
またご住職と面談があって、お礼を述べて、
その後、奥の院まで、お参りに。
小雨にけむる杉木立も高野山らしい。
高野山のもみぢもみごろだった。
女人堂(にょにんどう)のところから、
不動坂を、極楽橋まで降りる。
途中、石童丸が軒下で寝たという
清不動堂があるが、
現在の場所は移築された場所らしい。
周りの眺めも楽しみながら、
高野山を下っていった。
いにしえからの祈りの空間、
高野山は、日常を離れ、
清々しい気持ちにしてくれる
場所であった。
ありがとう、高野山。
また歩いて登ろう。




