Skal vi gå højskole! ホイスコーレに行こう!
グロントヴィ主義のホイスコーレ(かつては国民高等学校と訳されていた)では、つねに生きたことば(2月28日記事参照)が重視され、授業のあとも、コーヒーを飲んで、あるいはビールを飲んで、みんなで授業のことやいろんなことを話し合う。全寮制なので、いつまでもいつまでも。最初は話し合いに参加しない学生も、しだいに輪にくわわるようになる。
毎朝、みんな講堂に集まって、校長先生が熱く語る生きたことばを聴き、そして歌を歌う。校歌なんかじゃなく、その季節やそのときの話題にあった歌。ホイスコーレの講堂にはsange bog:歌集が全員分セットされている。ヨーロッパの教会にも、ときどき賛美歌集が並べられているところがあるけど、それと同じ。だから、毎朝の講話と歌は、さながら教会のよう。これもグロントヴィ牧師のお説教のスタイルを踏襲して今に残っているのだろう。でも、教会のお説教といっても、決して線香くさい、もしくは説教くさいものではなくて、生きたことばによる熱い語りかけなのである。校長先生はほんとうに講話が上手だ。話が上手でなければ校長になれない。
生きたことばと歌で、学生たちは社会に参加していくことの意義や歓びを再確認していく。これがホイスコーレの一番の役割だと思う。「いじめ」や「ひきこもり」が社会問題になっている日本には、いま、このホイスコーレが必要なのではあるまいか。
ご参考に、あるホイスコーレのPRフィルムを添付しておく。ホイスコーレの雰囲気がよく表れていると思う。
ここに見られる様子は、楽しい学生生活って感じだろうが、ホイスコーレには入試はない。だれでも希望すれば、定員になるまで希望順に入れる。ここには偏差値によるエリート意識も劣等感もない。
また、入ってからも試験はない。つまり、資格をとるための学校ではないのだ。
みんなと共に学んで、共に語って、歌って、遊んで……、で試験はない。学校の楽しいところだけ、取り出したような学校。
大学まで授業料無料のデンマーク社会の中にあって、有料のホイスコーレに、わざわざお金を払って、資格もとれないのに、どうして行くのか?
たしかに魅力ある授業でなければ学生は集まらない。ホイスコーレは生徒が集まらなければ、つぶれてしまう。それだけに各ホイスコーレは魅力ある授業づくりに躍起である。
遊びだけではなく、純粋に学びたいという気持ちで、学生は集まってくるのである。そして、そこで学生たちは、「技術」や「知識」ではなく、社会参加の意義や喜びを感得していくのである。
また、入ってからも試験はない。つまり、資格をとるための学校ではないのだ。
みんなと共に学んで、共に語って、歌って、遊んで……、で試験はない。学校の楽しいところだけ、取り出したような学校。
大学まで授業料無料のデンマーク社会の中にあって、有料のホイスコーレに、わざわざお金を払って、資格もとれないのに、どうして行くのか?
たしかに魅力ある授業でなければ学生は集まらない。ホイスコーレは生徒が集まらなければ、つぶれてしまう。それだけに各ホイスコーレは魅力ある授業づくりに躍起である。
遊びだけではなく、純粋に学びたいという気持ちで、学生は集まってくるのである。そして、そこで学生たちは、「技術」や「知識」ではなく、社会参加の意義や喜びを感得していくのである。
そんな「夢みたいな学校」って思う日本人も多いと思う。デンマークってちょっとわれわれ日本人の常識では理解できない、「夢みたいなこと」がほんとうに存在する国なのです。……秘密にしておきたい気持ちもするぐらいです。



