日本の高校生、デンマークの高校生 | 日刊「きのこ」 skipのブログ

日本の高校生、デンマークの高校生

2月27日(土)
スティーフンとの会話


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 日本のオーラルコミュニケーションの授業では、全然会話をしていない。そんな授業なのだ。単語テストをやって、暗記力のいい者が点をとる。文法的な言い換えを書いてばかりいるが、簡単な表現でさえ、彼らは話そうとしない。先生にあてられても生徒はうつむいたまま「……わかりません」と小さな声で答えるだけ。

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 デンマークのオーラル・イングリッシュの授業は、ノートも持たず、本もひらかず、みんな椅子にこしかけて、ぐるっと輪になって、ただしゃべる。宿題になっていた本について思ったこと、昨日見たテレビのこと…などなど。リラックスしたおしゃべりの時間で、ことばが英語になっただけ。
 ある子はとても英語がへたで、まちがった表現も多い。だけど、おしゃべりにはとても積極的で、どんどんと話す。そんな子がオーラルのクラスでは、いちばんいい生徒なのだ。評価されるのは、暗記力でもボキャブラリーでもなく、会話に参加するという積極性だけ。

 「だってそれがオーラルでしょ、うつむいてノートをとってたらオーラルじゃない」

と彼は言う。




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 日本の高校の音楽の授業で、グループで歌うテストがあった。教室の前にならんで、日本の男の子は、なかなか声を出そうとしない。スティーフンはグループの仲間に、「Just sing!」「OK. Louder! Louder!」と呼びかけて、恥ずかしがってた友達もとうとう思い切って大声で歌いだした。おかげで彼のグループが最高点をとった。
(日本人の高校生が歌が嫌いなわけじゃない。彼らもカラオケでは歌いまくる。でも、音楽の授業では急におとなしくなる。楽しそうに歌わなくなる。…どうして?)



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 わが師グロントヴィは、口から口へ伝わることばを「levende ord:生きた言葉」といって重んじる。グロントヴィの受けてきた教育は、ラテン語の古典籍と文法が中心だった。それらは「døde sprog:死語」の勉強である。先生は教鞭をふるって、子供たちは恐れながらテストのための勉強をする。同時代のアナセン(アンデルセン)がずいぶんつらい学校生活を送ったことはご存じの方も多いだろう。そんな学校をグロントヴィは「sorte skole:黒い学校」と呼ぶ。

 「人生」=「今を生きること」=「実存」の積極的肯定、これが彼の思想の要素である。「来世」ではなく、「現世」の肯定とも言える。それでこそ人生は楽しいもの、有意義なものになる。こんにちのデンマークの社会思想の底流にこのグロントヴィがいる。



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 「でも、グロントヴィなんて誰も知らないよ。知っていても『教会のお坊さん。賛美歌を作った人』くらい。グロントヴィがつくった思想なんじゃなくて、デンマークの思想をグロントヴィが言っただけなんじゃない。グロントヴィの生まれた南シェランの人だけが知ってるんじゃないの?」
と、スティーフンは言う。



 おやおや、デンマーク人が、自分たちの思想の根底が何なのか意識しなくなってしまうほどに、グロントヴィの思想はあたりまえのものになっているのだろう。