
お小遣い分のお給料の殆どはCDと漫画に使っていた。勿論母に渡す生活費や貯蓄は別枠で。聴ききれない程の大量のCDが記憶の鍵になる。此の曲を聴いていた頃に。
幾つだったっけ。
MTVを観るために夜更かしして母の眠る暗い部屋で待機していたこと。
町営住宅の狭い部屋でもなにも苦にしていなかった。母は仕事をしていても家事をこまめにこなし、庭で花や野菜を育て、お風呂のない家だったからいっしょに銭湯に通って。おばあちゃんも近所の町営住宅に住んでいた。おじいちゃんを早くに亡くして生活保護で暮らしていたけれども、熱心に創価学会で信心して、学会のみなさまにたくさんお世話になっていた。
伯父のせいで狂うまでは祖母は認知症ではなかったし、ただ人恋しくてあちこちのお宅にお邪魔して迷惑になっていたのだろうなと。いまならおもう。感謝しかない。
伯父の薄情なことばでこころを病んで施設入居し、こうほうハイツというところにお世話になって84歳で亡くなる。
此のときが私の転機になって、総て棄ててすきなことをしたいと考えるようになる。
たぶん。
納骨のときに、赤坂BLITZのレピッシュライヴに行ったのだ。
確か富士屋ホテル?に母と祖母のお骨を残して、赤坂BLITZに。行けず⋯。タクシーに乗って連れて行ってもらった。
私の記憶は、都合よく悪く両方を兼ねて消える。
おもいだすために、必要なものは写真や音楽。
鍵を開ける。
箪笥が開く。
同じ場所に立つ。
無意識に辿り着く。
懐かしい。
何故だろう。
次々によみがえる。
あのときのじぶん。