




母がお世話になっているお寺さんに
電話をしましたら
大黒さんが出てくださり
「来いってかい」
とおっしゃったそうで。
母はもう一切
お寺と関わりたくないと言います。
どの様な意図があったのか
わかりかねますが
宗教も現実ではお商売ですので
檀家や信者は
教えよりも
ひとに
尊敬や憧憬を抱いて教えの場に通います。
窓口となる家族が
教え自体に悪影響となっては
信ずるものを迷わせます。
あんたも程々にしなさいよ
母は改宗を考えたほうが良いと言いますが
亡き義母が望んで選んだお寺です。
ご家族がどの様な非礼を浴びせても本来の
教えとは実際は無関係です。
わたくしは
すべてのものにたましいがあり
かみというよりも
そうごきょうぞんという
あいてにふたんだけをあたえず
ともにあるべくそんざいが
しゅうきょうであらねばとかんがえます
おふせは
とうぜんのほうしゅうではなく
しんずるものが
こころのかてをつつむものであり
ねふだはいらぬものです
欲は身を滅ぼす場合が在ります
きていただく
うかがわせていただく
そうほうが
あいてをたてねば
いっぽうが高い位置からみおろして
説いたことばに
徳は宿らぬものとかんずるのです
こじんてきなかんがえであって
おしえをとくものが
いちばんそばにいるものを
教えておらぬではないか
とは
いえませんけれども
きずついた
母のこころは宗教をいむことでしょう
つらいこころに
そうこともできぬのならば
宗教人の細君として
行動すべきではなきとかんずるのです
おもいやりぶかい
どなたかを
雇用することで教えはただしく歩けるかもしれません
わたくしは直接お会いしても
違和感が在り
電話でおはなししても
なにか釈然とせぬ
良い感情はいだけませんでした
どうかおこころをお清めくださいますよう
せつに願いたく存じます
夫の身分や立場を
我が身のこととせず
常に夫を支え周りをよくみて
働くべくが妻で在ると考えます。
はまなすの美しいかたを
ひとひらずつ拝見するたびに
夫婦とはあの様で在ればとおもうのです。



































