書籍でことばを遺すことは自由だろうか。
たとえばブログなどでつぶやいて利益が無く漂う場合と、書籍化とではどう違うだろう。
犯罪者が償いを終える日は命を終える日だとおもう。
拘束され失うものは時間だけであって、壁の外に出てからも罪を背負って生きる。
其れが犯罪の恐ろしさだとおもう。
罪の意識が欠落したままで群に戻ることはできない。
悔いて贖い悼みながら耐えて生きる。
そうでないものとは、共存できない。
ごく身近に、平然と嘘ばかりを並べるおとなが居る。
罪の意識は無く、ありがとうは大量に言えるが、ごめんなさいを知らない。
誰かを貶すことはあっても、じぶんに非がないと常に言動で表現している。
一歩踏み外せば危うい。
運良くさほど賢くない。
もしも素晴らしく頭が良ければ…。
現在とは違う場所に居たとおもう。
うまくできている。
慣れてしまえば個性。
嘘も見える程度の幼さでしかない。
かまわぬ。
メンドクサイ。
相手がこどもであれば違うと伝えたいが、ワタシは立派でも賢くもないし、ただ無責任に無駄に生きているだけだので。
罪を犯して本を出せば売れる
面白い世の中だ。
自由な国だ。
不思議な世界だ。
ひとをころした穢れた手で、ことばを紡ぐ。
お金のためならなにしてもイインダね…。