山中氏を陥れようとした僻み一族め。
インターネットに正義を期待する愚者は真実を多数決で覆い隠そうとするくそたわけだ。
多数は正解ではない。
真実とは、ひとの芯である。
山中氏に、疑惑は存在しない。
オボカタの幼稚さすら認めて批判はしなかった山中氏を、ネットで叩く意図は僻みだ。
赦しがたい。
極一部の阿呆が足を引っ張る。
じぶんになしえないことを築く者を陥れて墜ちるのは奈落の更に奥の地核だ。
地獄とは墓穴で地核を目指すものの到着地だ。
優れたものを認めてともに高めあえないものは、消えろ。
ひけらかす知識こそキリバリのコピーのシール遊びだろう。
幼稚である。
初等教育のあやまちである。
オボカタの卑劣さが暴いた脆いsystemは、再構築できる。
先を歩く山中氏が道を拓くからである。
くだらない報道を繰り返すよりも、もっとひとの手や耳や声で得たものをあたためてひろめてほしい。
ネットの情報などどのようにも操作可能である。
computerにはあはれがわからない。
ひとにはなりえない。
ひとの道具であって、道具がひとをあやつる未来は、要らん。
身分証明のない情報に踊る阿呆がお気の毒…。
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