ご遺族には申し訳ないことを記する。
がんは医師が製造して移植した細胞ではない。
患者が作り出したじぶんの細胞である。
腹腔鏡手術を選択する際に、同意はしている筈。
3人死亡とはいっても、何件の手術の中の3人であったのか。
傷の治りは早くても開かない手術であるから、患部が確実に除去できるものか、何処まで見えるものか不安がある。
高齢であっても安易に選択すべきではない。
ひとには定められた時間がおのおのに在り、医師の手だけに委ねられているわけではない。
膵臓がんなど、見つけられる時代になってしまってからの病である。
胆管がんなどさらに発見は難しくはないのか。
検診や検査の精度を幾ら上げようと、寿命はどうにもならない。
手術は当人が希望するものだ。
生かそうと手を尽くす医師を守る法が必要である。
がんセンターなど、常に最悪の重症患者を受け入れねばならない最前線に医療の場があって、患者の術後の死を責められては理不尽である。
失礼だがほおっておいても死ぬのだ。
生きたくて選んだ道が確実に安全である保証書は発行されていない。
国民すべてが医療費を支えるsystemのにほんにおいて、保険内で高額療養を選ぶのであれば、医療の進歩に身を捧げる意志も持ち患者であるべきではないのか。
オボカタでもあるまい。
不正が無ければ、限りなく増える患者たちから、その三名の男性医師を切り離すべきとは思えない。
早期解決と三名の医師の慎重な細やかなメンタルケアを願う。
自らの手で救いたくても、絶えずこぼれ落ちてゆく命を目にする機会の多い聖職者を守れなくては、折角の医療制度が台無しである。