朝刊2紙を読み比べ、先程道新夕刊記事の扱いが大きくて、気になりました。
もう無罪です。
どうして認められないのでしょうか。
あやまちは償うべきです。
ひとは間違えます。
きちがいとまちがいは誰にでもある、とあるかたに教わりました。
わたくし自身がちょうど苦しいときでしたのでたいへん救いのことばとなりました。
恩人としていまもずっと感謝を忘れてはおりません。
ひとは死にます。
老いて逝きます。
もう赦してください。
まちがいを認めて、今年の桜のしたで姉上のあつらえた背広をまとい静かにお過ごしいただけるよう、地域ぐるみで支えて差し上げるべきです。
科学者でさえ誤った発明を遺します。
法の天秤を正しく見極めくださいますよう祈るばかりです。
公表を、汚点を恐れて、ひとのみちを外れたものは、確実にさばきをうけます。
無事老いることはありません。
苦しみが果てしなく続きます。
謝罪すべきです。
つみびとは、塀の外で生を終えました。
間に合いませんでした。
もしかしたら、とうにご存知ではありませんか。
早く気がついて悔い改めていただきたい。
にほんじんであるならば、卑怯を恥と知る筈。
春です。
桜は一瞬で散ります。
急がなくてはならないのです。
無罪のこくみんをかいほうせずに、生きることこそ恥であるのに。
哀しい事件です。
どうか間に合いますように…。