中学生のときはなんもかんがえとらんかった
江戸川乱歩も
横溝正史も
なんもかんがえとらんかったからたのしかった
ひとがしぬ
だまっていてもしぬのに
ころすじゃないか
ひとがころされるほうほうを
かんがえるだなんて
おっかねぇ
よめない
すいりものはよまない
しくまれたトリックにきがつく快感よりも
とぎすまされたことばのうつくしさのほうに惹かれる
だから
写楽を読んでも
のこしたいぶぶんが蔦屋とラスの惹かれあうこころのうごきだとか
そんな場面ばかり
写楽が誰であるかだとか
そこは興味がない
だって写楽絵すきじゃない
歌舞伎絵はもっとうつくしいえがきかたができたはず
写真で見たことしかないけれども
歌舞伎はあんな絵よりはるかにうつくしいもの
役者さんたちは綺麗だ
あんなばけものじゃない
誇張するにしても美の追求のほうこうへすすむべきだ
蔦屋はおもうところがあって
滑稽なものをひろめたかった
それでは真摯に芸に向き合うまことの役者を踏みにじる
風刺画としての要素しか持たない
芸術であり絵画とするものならば
もっとちがうほうこうから
みえるたしかなものを記録すべきだ
さして記憶はしていないが
美術展がすきで図録は必ず購入してながめていた
ミュシャ展へもいったはず
ひとがきらいだけれど
うつくしいすがたでひとがたをきりとることはすきだ
ぶよぶよしたルノアールより
つるりとたんせいな宗教画のようなかんじがすきだ
日本画で言えば上村松園・・・だったべか
なんか
おんなのひとだったような
写楽はゆうめいなのか
歌麿もゆうめい・・・
北斎
永谷園のお茶漬けの付録くらいの記憶しかない
そのていどの激しい無知というか無関心ゆえに
絵画や芸術に求めるものは
すきかな
どうでもいいかな
だけだ
パウル・クレーはいろのくみあわせがすきだ
ガウディはなんだかおもしろい
ピカソはきょーみない
なまえどうでもいい
すきなものと
どうでもいいもの
脳内からはいじょしたいもの
だろうか
ぶんるいはそゆかんじ
赤川次郎氏も読んだとおもう
しにすぎてむりだった
どんなに素晴らしいトリックがあっても
ころされなければもっとよかった
としかおもわない
きがめいる
ころすはなしよめない
どうにかしてしなないほうほうしかかんがえられない
ぼうりょくものもむり
くりすたるどらごん
ばがぼんど
べるせるく
ヴィンランドサガ
いろいろ
読んではみたけれどもつらくてむり
だからサンリオ
めるへん
うつつがつらいのに
もっとくるしいつくりごとはいらないなぁ・・・
はきそうになる
うそつきとどろぼうとひとごろしは
いやだ