いったいどんなばんぐみだったのだろう・・・。
きのうたべたもつなべでなんとなくくしゃい朝。
もものうんちょをおかたづけしてちっちしたあとてんてんして。
いつもどおりよじはんくらいにいちにちがはじまった。
きのうのおはなみかいじょう。
おくのほうまでみてきた。
戦没者慰霊碑がありました。
綺麗な桜があって酔客がいてカラオケでにぎやかで。
こんなみらいをしらないままで。
ころされたひとのなまえ。
どれほどの恐怖の中でいきたのだろう。
くにがこくみんにしねとめいずる時代があったことをしんじがたい。
きざまれたなまえをおって。
じっかんのないいたみをかんじる。
ほんとうにきょくげんじょうたいになっていたのであれば。
ほっするのはひとはだではない。
まだ心の余裕のあった時に男尊女卑の信念に基づいて生まれた職業が慰安婦だったものとおもう。
このじょうきょうをゆるす当時のぐんぶがくるっていたのだ。
ただし。
にほんをおとしいれるために、過去をあばきご婦人たちをひとのめにさらす意図がきたならしい。
じじつはじじつとしたとしても、ご高齢者を敬う美しい文化を守る国のすべきことではないようにおもう。
女性であればどのようなしんねんのもとにしょくむについたにしても、えいえんにいたみをせおうしょくぎょうであるとおもう。
せいじのために。
かこをゆがめ、いびつなすりこみをし、ご婦人たちをひとまえにさらしものにする。
きんせんやめいよのためであっても。
あとどのくらいあるかわからないいのちを、このようにおえることに違和感がある。
せんそうはいらない。
そうほうがくるっている。
ごふじんたちがはんせんかつどうにちからをいれるのならばわかる。
このようにいちぶのあめりかじんによってりようされることがくるしい。
かこをさらすことでごじぶんたちはなにをえるのか。
こころに慰霊碑をたてることはないのか。
さくらのきのしたで。
ゆれるたんざくをてにとりながめ。
じんせいのおわりにひとをおとしいれてゆくさきをけがすことのいみをかんがえる。
あとどのくらいいきていられるものか。
いきていることをかんしゃし、はんせんをとなえ、せんそうをみちびくこまになりさがることに違和感をもちながらはつげんすべきではなかろうか。
いとがみえる。
あやつるいとがみえる。
いさかいをおこし、おかねにしたい、ごうよくなあやつりぬしがいる。
ものごとにはかおがいくつもある。
どこをみつけるかによって。
じじつとはまったくのちがうひょうじょうをよみとることもある。
おなじいけんばかりがつづくときにまぎゃくをゆく。
せんもんかいがいのしてんでひろくきりさく。
ということを。
写楽
という本を読みながら、おもう。