象徴のいみをかんがえる
こうあってほしい「ひと」を
誠実にわがこととし
すこやかでごきげんにすごすすがたを
せかいじゅうにひろくしっていただく
そこにいつわりはないほうが、ほんとはよりよい
あったとしても
お能であって
うそんこではない
おもて
であって
ひためんではなくせっしていることにもいつわりはない
ほんねとたてまえではなく
しょくむとわたくしごと
ぶたいは
主役いがいのかつやくのばをあたえることが主である
主演をかつぎあげることで
ものがたりがはじまり
基盤をつくり
そこにはたらくしくみをくみたて
くにづくりがはじまる
ほんとうの象徴というものは
欲に動じず
すべてをてにいれることができたとしても
ひつようなぶんだけをのぞみ
むつかしいことばではなく
ひとにとどくうたをもち
おおきなみみと
すんだひとみをもち
よりそってみつめる
やわらかい脳をつなげこころづかいをかかさず
ときにかたりかける
きこえたりきこえなかったり
みみによるからぜんぶまではほしょうしてらんねぇのさ
ひとりにすべての決断を委ねることは
そのひとりに
かかえきれない贖罪をしょわせること
じつは
かげで
ちゃんとかつぎますからね
という無償のわきやくやおどうぐがかりがいてこそ
なりたつ
主役だとおもっていても
端役なこともおおくて
たしゃはどこをみているかわからない
象徴だょ~ん
と
わかりやすければ
かつぐこともはたらくこともやくわりぶんたんしやすい
おもてなしもしやすい
めんどくさくない
らく
しんとうでは
なくなることはおまつりで
みんなかみさまになっちゃうらしい
それだと
いっかいきりでりさいくるできなくて
かみさまがあまっちゃうよ
だから
うまれかわる
ほろびても
うまれかわってあたらしくなる
そのほうがあまらない
ふえすぎるいのちがあれば
きえてゆくいのちがないと
いのちのかずがつりあわない
かみさましてても
たりないときは
べつのものにうまれてみないと
たりないところがおぎなえない
こうれいかがすすむのは
ひとがみじゅくだから
もうすこし
なんかしなさいよ
ってことで
うまれないのは
だってかずたりているじゃないのさ
って
そのくらいだとおもう
いっぱいうまれたら
あ
もう
いいかなーってところがほろびる
うっかり
もとのものいがいになっちゃういちだいめは
へんてこなかたち
だんだん
なれるよ
ほっきょくぐまがほろびても
ほっきょくぐまのかたちのなにかがうまれるから
くよくよぐだぐだしない
どうぶつえんにいって
わーーーなつかしいって
ほっきょくぐまをにこにこみつめるにゃんこがいたり
いろいろあって
おもしょいじゃないのさ
かわいそうって
よそごとの
うえからめせん
かわいそうないのちはかわいそうだとおもっていないかも
おいしいごはんたべた
ねむくなった
いたかったよーーーくるしかったーーー
でも
あれ
あかるいところにきたよ
おいしいごはんたべられた
あったかいねどこもあるよ
しあわせだねぇ
って
こともあるさ
おかねもちでもりっぱなおうちにすんでいても
うそばかりついている
みっともなくてだらしないをとながおおいよ
まえはうそもほうべんってのもあるのかなーー
っておもっていたのに
うそつくのってめんどくさいから
あとから
うそおもいだすの
あたまよくないとつづかないから
おでにはいらねってわかった
うそつきって阿呆で
あとで
ちがうことゆうんだ
まえゆってたこととちがうことするしゆう
ちゃんと記録しておぼえてだいほんまつがいしないようにすんの
めんどくせぇもん
いっぱい
うそいじするのは
おっくうだわぁ
ざんげしつ
かおなし
つぶやく
うそじゃねぃ
ほんねだけでいいや
でも
おで
カメレオンみたいとか
エレベーターガールみたいとか
ひとによって
いろんなことゆわれる
愛想良いとか無愛想とか
まぎゃくなこともゆわれる
・・・・・・
いっつもおんなじなひとになりたい
めんどくさくて
すのままだのに
どこか
へんてこなんだょ
これぞ、という
象徴がほしい
めざすところがあるとうにゃうにゃしなくてかんたん