きょうあたくしごのみのバンドばっか!
うふふ♪
良い日(≧▽≦)
うちあげがたのしみぃ~♪
ぶぎうぎせんむとなかよちになりたぁい♪
と
読んでしまいました。
どぼちて・・・ヽ(゜▽、゜)ノ
きのう読売新聞を読みました。
たぶん金曜日くらいの。
ピアノを被災地に贈ろうというものです。
だれかがつかわなくなったもの。
修復して調律しなおして贈ろうという素晴らしい記事でした。
みやこにはぶんかがふかけつです。
おかねがないからとほごをやめるのではなく。
まずけいえいのみなおしのための仕事人をみつけ派遣するところからではないのでしょうか。
おかねない。
あげない。
おかねない。
あげる。
では遣り繰りは上達しないのではありませんか。
収入を得るために必要な経営をおしえみやこの財源となるようなぶんかの保護の方法をおもいつかないものでしょうか。
切捨てと仕分けはちがいます。
芸術を蔑ろにしてしまうことでうしなうものは国益を損ねるとしかおもえないものです。
儲けたいのならてのたりないぶんやを補えるひとを配置する。
げいごとの才にはめぐまれていても、活かせる場をさがしきれていなかったり、たべてゆく道につなげられない場合があります。
そこにまちおこしの仕掛け人を仕事人を配置。
そうしなければまもれない。
そうすることに長けたひとはいくらでもいる。
維新や改革に酔いしれるまえに。
経済の安定にひつようなものがなにか。
かんがえていただけたらとおもいます。
にほんどくじの伝統であるとか他国にはそんざいしえないものをまもりいつくしむこと。
他国の憧憬をひとつでもおおく惹くようなくにづくりがうつくしいとおもいます。
観光によってありふれたじぶんのせいかつがかけがえのないものだと与える側与えられる側双方がおたがいにしることができる。
「みにきていただけるものを提供できるわたし」
いきがいになる。
こくみんのこころをゆたかにするために音楽をあたえる環境をまもること。
たべることに窮していてもこころは貧しくならないように。
音楽はくすりです。
活力剤です。
きりすててはいけないものだとおもいます。
楽器演奏はしたくてもすぐにできるようにはなりません。
まなび積み重ねてきたものがなくては、まあたらしいところからつくりだせない時間の成果です。
どうでもいいとおもうひともいて、こころのよりどころとしているひともいるぶんやを踏みつけることは非道です。
おかねのあるひとのやくわりはもたないものにおかねをあたえることではなく。
いきがいとなるひつようとされるじぶんをあたえることです。
しざいをなげうってでもこようのばをていきょうしおいしいごはんをじぶんのはたらいた代価でたべられる環境をつくりあげることがなによりの貧困対策です。
納税や年金もたいせつですがあすじぶんがどこにいたらいいのか。
その根底がささえられていたらひとはじぶんを粗末にしなくなるように感じます。
じぶんさえよければいいのだ。
じぶんはえらばれたものであるから。
じぶんのいけんはたすうはである。
このかんがえかたはあやういものです。
えらばなかったものがさらにたすうである現実がみえていない。
筆子~天使のピアノ~
という映画をイルミナシオン映画祭で拝見いたしました。
みえないところにひかりをあてる。
ほどこしをあたえるのではなくひつようとされる存在であることを見失わせないようなしょうがいをあたえる。
ゆたかないきかたとはぎらぎら着飾っておいしいものをたべぶくぶくふとることではないのだなぁと。
笑顔をまもることなのかなぁと。
おもったりしました。
たたかれるときにはなにかしらの危機感をどのようなてをつかってでも祓いたい、という可能性も棄てきれない。
てんびんがどこにあるのか。
だれにでもみえるわけではないのだし。
雇用、福祉、外交。
復興支援。
災害への備え。
なにもかもがひとつになっててんやわんや。
ひとつずつきりぬけてゆけたら。
伝説になっちゃうくらいの大河ドラマだ。
ひとはしんかするしたいかもする。
くにという概念をもっていっこくであるという自覚を持って。
くにのないぶから崩れてゆくことさえふせげたら。
どんなときも。
じゅうなんにすすんでこれた不思議なくにである被爆国のこのくにはなんとかできる。
ようなきがする。
せっきょくてきなカレシたちにいっつもゴーインに誘われちゃうの。
でもじつはあたしのほうもそのほうがらくなんだぁ♪
そのつどいちばんかしこいほうほうをみつけるの。
もてもてでこまっちゃうね。
ほんめいはいっつもひとりなのにね。
ってゆう・・・。
にほんってそんなかんじ。