天は罰をあたえない
なにもののイシでもなく
ちきゅうはうごいている
じめんはもとからうごいているものだから
地震はふせげない
ことばのとくいなかしこいひとが
まつがいを
いっぱいさらすのはどうしてなのか
だれをすきになろうと
せいべつできめるわけじゃなくて
そのひとだからすきになるのだし
すきになるしくみなんて
どうやってもかいめいできっこない
いっぱいさらすと
どれほどすばらしいことをしていても
おくちの災いばかりがきになる
おくちに×
しんちゃんはすこしうさこちゃんになってて
はつげんできるからといって
ちがったらわびりゃいいだろうと
おもったままをくちにすると
ああ
これがほんねなのかときづかれてしまう
ぜんいんにすかれるひつようはないだろうけれども
すくなくともすでにくつうをかんじているものへ
おやまのうえから
ことばで切りつけるのは
ひどいや
まつりごとは
ものがたりのなかじゃない
ファンだけがみているわけではない
ほんとうに
天罰だとおもっているのかなぁ
だったら
天罰があるのなら
どうして
じぶんのうえに
おちてこないのか不思議でしょ