という映画があります。
貧しく知的とも思えない。
けれど。
一途にひとを想うことのできる少女のことばすくなな日々を。
ていねいに追うだけの派手さのひとかけらもない映画です。
主演はチャン・ツィイーさん。
TSUTAYAでふと。
DVDのパッケージの。
タイトルと少女の表情に惹かれて手にして。
レンタルで拝見いたしました。
こまかいおはなしはおぼえていないのです。
ただ。
なんどもなんども。
なみだをこらえきれずに。
観るたびにひとのうつくしさにしずかにふかくこころがふるえました。
おんなのしあわせ。
ということばがあります。
ありふれた。
よくみみにしてやれやれ・・・とかんじてしまうことばです。
ひとのせいべつは。
おおざっぱにふたつ。
ほんとうはもうすこしおおいはずですが。
わけられるのは。
そこまで。
おんなとして。
じぶんにつごうのよいようにせいとうかしたいだけで。
いいわけでしかないばあいがおおいことばです。
こどものぎせいになって。
おんなとしてのじかんをむだにしたくない。
というような・・・。
ぶきみないけんがときたまめにとまります。
そこまでいうほどどれほどじぶんがかわゆいのでしょう。
こどものせいでおんなでいられないのではなく。
ただよそみをしていたいだけです。
いきているかぎりおんなでしかないのに。
しょうみきげんやしようきげんは生殖にのみはっせいするもので。
いやでも。
灰になってもおんなはおんなのままです。
はつげんするものだけをだいひょうしゃとするべきではありません。
たとえば。
むさくいに。
さいばんいんをえらぶべきなのです。
いさかいがおきたとき。
ふたつしかせんたくしがないままでは。
えいえんにまじわることがなく。
どちらかをのろうしかないけつまつにたどりつくこともあります。
うまれながらにさだめられたせいべつでさえ。
ひとをひとくくりにはできない。
おおごえではっするいけんのみがだいひょういけんではなく。
そこにはなにかをゆうどうするためのいしがはたらいているものがおおいこともふりかえるべきかもしれない。
とくに。
とくめいせいのたかい。
あみのわのなか。
ただしくても。
ただしくなくても。
たすうけつのようにみえるほんとうはふびょうどうなじしゃくがある。
さんかすることを。
えらばないもののなかにこそ。
ほんとうのすがたがあって。
あやつられていることにすらきがついていないまま。
うずにのまれているおおごえのぬしがあまたいる。
だれにとってもひとごとではない。
うみはつながっているし。
ちきゅうはまるい。
しんじつをみつけるために。
せかいてききぼの。
さいばんいんせいどをもうけてしまえばよい。
ひとのちからのおよばないところで。
あす。
じめんがしょうめつするかもしれない。
うちゅうせんかんやまとはまだないので。
たぶんほとんどのひとは。
ほろびちゃうとおもぅ。
あえていさかいをあっせんしなくても。
だれにもしつけされずに。
はだかのままで。
ふんぞりかえっていばってばかりだと。
みえないいとが。
ぐるぐるぐるぐるすこしずつすこしずつからみついて。
ふと・・・。
つまづいたしゅんかんに。
ぷちぷちぷちぷち・・・・。
ばらばらにちぎれてとてもとてもかたづけにくいみにくいいたいになるようなきがしゅる。
かたづけたいひとはだれひとりいない。
よぼうがだいじ。
だだをこねればなんでもまかりとおるような。
そゆこと。
せかいてききぼで。
ど阿呆・・・・っていえるようになればいいとおもぅ。
映画のおわりは。
たくさんのあしあとがうめつくす夢のはじまり。
ひとりからふたりへ。
かけがえのないみえないなにかがれんさしてゆくしんりのみち。
いしをなげれば。
はもんがひろがる。
まるいちきゅうは。
すべてうみでつながっているから。