大好きな葡萄。
みんなで食べましょうね、ってひと箱。
買ってくれた。。。。。
困るんだ。
余市のとってもとってもとっても美味しい葡萄。
出来ればすぐに食べちゃったほうが良いと思うの。
自分で毎回食べても良い?
って、訊くのがヤダ。
たとえば、いつもお世話になっているひとが、来たら、出してあげたいじゃないか。
だって、毎日鮮度は落ちてゆく。
ほんとうなら、本人に気づいて欲しい。
でも、出しても良いかな、って、訊くべきらしい。
よく、わかんない。
ひとり占めとか、仲間内だけ、とか、嫌いなので。
美味しそうなら、そのとき、なるべく一番美味しいときに、みんなで食べちゃおうよ、って。
思うのに。
めんどくさいよ。
だって。
気が利かないわね。
アンタが気づかないから、アタシがしてやったのよ。
みたいに、聞こえませんか。
だから、もらっても良い?
って、だけ控えめに言ったんだけど・・・・。
あげたいから、もらってもいいかな、が正解なんだって。
誰かお客様とか本社のひととか来たら。
おもてなし、したいんです。
自分で、お茶菓子とか、用意しとくべきなんだろうか・・・・。
でもさ、葡萄に関して言えば、勝手に出して食べても気にするんだろうし。
そう言うひとは、案外気遣いは雑だから、洗いましたよ、食べてくださいね、とは、言わない。
でも、細かい。
自分のモノ意識がとっても強い。
もし、自分が買った葡萄なら、休憩のたびに洗って、どうぞって出す。
余ったら自分で食べる。
めんどい。
あんまり、気にしないほうだから、あれば食べる。
誰か食べちゃっても、どうでもいい。
無ければ食べないし・・・・。
わからない。
こだわりの、焦点が。
ずれてるんだろうな・・・・オレ。
だから、これひとりぶんずつ分けましたよ。
って、言って欲しかった・・・・。
もらえても、あんまり嬉しくないよ。
もらったものは、ずっとあげたひとの所有物じゃ無い。
もらった時点で、役割は終えてる。
つぎの役割が何であれ、最初の所有者がいつまでも権利を持っていることだけは異常。
葡萄さん、ごめんなさい。
美味しいときが過ぎて行っちゃうよ・・・・。
おやつを選ぶときは、腐らなくてすぐに食べきるもの、が基本じゃないかな。
残ってても、きっと気にするんだろうから・・・・・。
おやすみなさい。