【喪中(もちゅう)】
喪に服している期間。
身近な者や尊ぶべき者等の死を受けて、それを悲しむ者が過ごす一定期間。
仏事のネット調べによれば、
「忌中(きちゅう)」は四十九日を過ぎるまでの50日、
「喪中(もちゅう)」は近しい者の場合、一周忌が過ぎるまでの13ヶ月、らしい。
また、ウィキ先生によれば、
喪中は慶事への参加、慶事を執り行うことを控えるとし、
正月は、年賀状を出さない(貰わない)、正月飾りをしない、
お節料理を食べない、初詣に行かない、などが挙げられ、
参加を中止すべき慶事は、
結婚式、クリスマスパーティー、忘年会、新年会など、とのことだ。
喪中ハガキはよく目にするから周知の人は多いだろうし、
初詣に行かないくらいも何とか知っている人の方が多いのではないかと思う。
もちろん11月や12月に逝去されたならパーティーや祝い飾りはしないだろう。
けれど、2月や3月に逝去されて、
ほぼ1年後の正月にお節料理を食べちゃダメって人はどのくらいいるだろうか。
礼儀は、相手を尊ぶこと。
それが人と人との間で、時間をかけてカタチ作られたものが、
慣習やマナーやしきたりといった儀式や儀礼なのだろう。
しかしながら、一つ決まり事を決めると、
「ではコレはどうだ」「アレはどうなる」と理路整然にしようとすればするほど、
次から次へと決めなければならないことになるのが人の業。
結果、それは生活の小事にまでおよび、
気がつけば余りにも多くの決まり事に人生は埋もれている。
礼儀を欠くことは相手を侮蔑することになり兼ねないがゆえ、
必死になって儀礼を覚えようとする。
よく知っているという先達に聞いて回り、「こうしとけば間違いない」と聞き、
理由も知らずにカタチだけを身につける。
それで何とかやり過ごすだけなら良いものを、
カタチの違う者を見れば「ははぁん、知らねぇんだな。常識だぞ」とほくそ笑む。
まるで落語。そんな人で溢れている、と僕はこっそり思っている。
常識だ常識だと喧しい人ほど、
カタチだけに囚われていて、その真意を蔑ろにしていることが多い、とも思う。
最初に言った通り、礼儀とは相手を尊ぶ気持ちを表すこと。
自分の有識を披露することでもなければ、無知な者を蔑むことでもない。
礼儀と儀礼。本末転倒してはならない。
正しきとされることを厳格に守れというなら、
忌中は家に籠り、外出して人と接してはならない。50日間。
無理でしょ。今の時代に。
結婚式や葬式を家で執り行うのもほぼ無理でしょ。
正装も紋付き袴にチョンマゲじゃなくなったでしょ。
神社にも詣でて、お寺にも参って、クリスマスケーキも食べるでしょ。
常識は時代と共に変わり行くもの。
だからこそ、真意を忘れないことの方が大切、と想う。
と、またまた長い前置きをしておいて。
年賀状を作成しました。快挙です。
毎年恒例の大晦日作成により、最も遅く届くはずの私の年賀状が11月に届くという。
喪中はがきを出すならば11月に出さねばならぬので、
重い腰を何とか持ち上げた次第。
そして、喪中はがきは嫌だったので年賀状。
もう忌中は当の昔に済んでるし。普通はがきだけど。
だって、年賀はがきだと溜め置かれちゃうもの。
ということで、
ちょっとお先に、HAPPY NEW YEAR 2022。
紅葉とネクター。
先月の戦利品。御守コレクションに追加。
って、喪中に神社は行っちゃダメなんだぞ。