前記事でラヂオ屋ツーリングを付け足して思い出した。

僕は母上の死亡確認をライダースパンツで聞きました…。

革パンではないけどフェイクレザーの、膝に薄いパッドが入ったズボン。

うむ。場違いこの上ない。

だってツーリングに出る準備をしてたんだもの。

母上が家に搬送され、一段落した頃合いを見計らって急いで履き替えたし。

 

 

一世代前なら問題はなかったんだろうな、と思う。

祖父母世代の葬儀を、父母世代が執り行うにあたっては。

喪主という立場に立たされて、田舎の葬儀について想う。

 

受付は組の人に頼むから、組長にその旨を連絡。

お寺に枕経を頼むから、その旨を連絡して、その都合でスケジュール調整。

ついでにお寺から「迎え仏」という掛軸を借りる風習がある。

自治会に、老人会に、連絡というお願いをあちこちにして回らねばならない。

もちろん市役所にも死亡届を出さねばならない。

加えて、通夜はどう、葬儀はこう、

家の関係性で席順がどうだ、お供えがこうだ、焼香順がどうだこうだ。

母上が家に帰ってきた矢先から、葬儀屋との打ち合わせに加えて、

親族のそういうことに詳しい者から矢継ぎ早に教授され、決定の催促をされる。

ただでさえ葬儀は面倒なのに、田舎の風習が加味されると、さらに面倒は増える。

 

家を片付けたり、連絡して回ったり、届けに行ったり、

続々と集まって来る親族や弔問客の対応をしたりするのに、

兄妹が5人も6人もいて、その配偶者がいて、何なら成人した孫がいて、

親族も皆近くに住んでいて、従兄弟くらいまでなら兄弟と変わらぬ関係性で、

ほとんどの生業が農業で、勤務中とか有休取れないとかいうこともなく、

皆がすぐ駆け付けて来られるのなら、問題はない。

 

一世代前なら、それが良かったんだろう。

人の関係性や生活環境から、最も礼節を重んじた形式だったんだろう。

今でも残っているくらいなのだから、最も適した風習だったんだろう。

それは風土の歴史であり、ただただ無下にする気はない。

加えて、葬儀屋が介して式場を使用するなど、

アップデートされている部分もちゃんとあり、

進化が完全に止まっている訳ではないことは理解する。

 

けれど、もう不可能だよと思うことが多過ぎる。

我々世代には、今現在の世の中では、その風習は守り切れない。

もう一段階アップデートしなければ、

本当にセレモニーの意義自体が無駄なものとして排除され得るのに、と思う。

 

母の子供は僕と姉の2人きり。

3人だったけれど長女はすでに死んでいる。

僕は離婚していて配偶者も子も家に居ない。

姉は結婚しているけれど配偶者は外国人。

親切な人で理解ある人だけれど、田舎の風習となると話は違う。

姉の子2人は東京の大学に進学していて、新型ウィルスのため帰って来させない。

かろうじて良い材料は、

姉が近くに住んでいて、フルタイムの仕事に就いていないから手伝ってもらえること。

爺様は他の80代とは比にならないほどの健康体だけれど、

ただでさえ畏まった儀礼が嫌いで、デリカシーの欠片もない人間なのに、

例の如くのメランコリーで当てにすることはできない。

親族は、例えば頼みにするなら母屋の従兄弟となるのだけれど、

長男は関東、次男は関西で暮らしていて帰ってなど来られない。

親族間は仲が良い方だと自負しているけれど、

それでも現代生活においては疎遠になっているし、

それぞれの暮らしがあるのだから無理はして欲しくないと、こちらが思う。

ゆえに集まってくれるのは、集まれるのは、父と同年代の年老いた親族が数名だ。

 

となれば、僕は否応なしに喪主になり、

否応なしに上記のほとんどの仕事を担わなくてはならない。

葬儀詳細の判断決断はもちろん、出来る限り風習を踏襲するため、

年寄りに教えを請い、年寄りの注文を聞き、年寄りに連絡などを頼み、

その上で、

頭を下げて挨拶して回ったり、市役所に届けに行ったり、

お茶を出したり、愛想を振り撒いたりしなければならなかった。

通夜も葬儀も同じように、

一体何役やればいいのかと何度も憤りたくなった。

 

もちろん、僕一人ですべてを行った訳ではない。

姉夫婦を始め、父や親族にはたくさん助けてもらった。

けれど、僕に課せられた仕事は余りにも重かった。

本当に、悲しむ暇なんてなかった。

その後の処理も併せて、ほぼ無職状態だから出来たものの、

僅かばかりの慶弔休暇だけでやらなきゃならないと思うと、

僕には不可能だと、しみじみ思う。

 

 

そんな中でも、凪の時間がある。

急いでやらなきゃならないことが終わった後や、

次の段取りが決まって動き出す前など、

ぽつんと時間が空いて、波も風も急に収まる時間があるのだ。

 

そんな時に親族がいれば母の話を聞いたりしたのだけれど、

大きな凪の時間、姉と2人だけになることがあった。

死亡当日と通夜終わりの夜の2回。

この不思議な二晩は、僕にとって大切な時間となった。

きっと僕を心配して、姉が出来る限り居残ってくれたんだろうけれど。

 

そのほとんどは、

必要に駆られて2人でやるしかない作業とか、翌日の相談や準備とかだけれど、

その合間に、母や家族の思い出、また、葬儀しきたりの不条理や日頃の愚痴など、

普段はなかなか話さないようなことを話した。

それはある意味、僕が想う家族葬だった。

余計な気配りなど必要なく、故人を偲び、故人の亡骸とゆっくり過ごしながら、

「これからも頑張って生きますから安心なされよ」と次に生きるための話をする。

本当は弔いってこれだけでいいのになぁと、思う。

 

死亡当日の夜は写真探し。

ロウソクと線香の守りをしながら、母の枕元で遺影写真などを選んだ。

写真の山も、僕は片付けの際に何となく一目は通していたけれど、

初めて見る姉にはどれもが新鮮らしく、面白がっていた。

 

若き日の母と若き日の姉は、写真によってはすこぶる似ているものがあり、

姉は「似てるって言われるのが嬉しかった」のだそうだ。

僕は「どこで拾われても届けてもらえる」と言われたくらい父に似ていて、

それが疎ましくて「鼻が全然違うんだ。鼻は母似なんだ」と、

父に似ていない所を必死になって探してたけれど。

 

通夜の夜は式場での線香守り。

元来なら、集まってもらった親族に食事と御酒を振る舞って、

いつ終わるとも知れない宴になるのが田舎の通夜。

これが新型ウィルス様様で、通夜式が終わり次第、助六弁当を配布して皆解散。

これがないのは本当に助かった。

ゆえに、泊まり込みは僕1人。

「1人で大丈夫?」と叔父叔母に心配されたけれど、

その方がどれだけ気楽か分かっていたので、

「心配御無用。明日もあるので早く休んでください」と早々に帰した。

 

がらんとした式場の控室で姉と2人になって、

また他愛無い話などをしていたのだけれど、その際に姉が、

「嫁いだ娘は席順が後ろに回されるというのが、やっぱり納得いかない」と言う。

「ああ?今日の通夜は前の席に夫婦で座るように言ったし、実際座ってたじゃないか」

「そうなんだけど。その前に親族の叔父さんに言われたの。

 嫁いだ娘はもう家が違うんだから、親族でも順番は一番後ろだって」

「はあ?そんなのは無視していいよ」

「私の母なんだよ。親族でも一番近い家族なんだよ。なのに後ろに回れって絶対おかしい」

「だと思うよ。だから前に座れって言ったんじゃん」

「あなたがそう言ってくれたから座れたし、嬉しかった。

 けれど「何であの子が前に」って思われてたら嫌だし、明日はどうかなって」

「あのねぇ。そんなの気にすることないって。堂々と座っときゃいいんだよ。

 もし何か言ってくるやつがいたら「喪主に言われたので」って言っとけ」

「分かった。ありがと」

 

これだから田舎の古いしきたりは閉口する。

聞くべきことは聞くけれど、おかしいと思うことは喪主権限を乱用して変えてやる。

だから席も自由にし、焼香順も焼香読み上げも無くしてやった。

単純に、前から順番に行うのが効率的で、

「俺は上位関係者だ」と言うのなら前の方に陣取ればいい。

どうせ、つべこべ言う人ほど後ろの方に座るんだから。

 

働くだけ働かされて、責任という責任を乗っけられるんなら、

多少は僕の意思を反映させてもバチは当たるまい。

それでいいね?母上。

と、姉が帰った後の静まり返った式場で一人、

母の顔を眺めながら、思った。