火曜日、デートをしました。

姉と。

 

「残念な男だな、まったく。家族にしか相手にしてもらえねーのかよ」

と言う人もいるでしょう。

「いくつになっても姉弟で仲が良いなんて素晴らしいじゃないか」

と言う人もいるでしょう。

どう考えるかは、あなた次第。

 

 

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『GIRL WITH BALLOON』。

「どんなに辛い状況のなかにあっても希望は必ずある」と見えますか?

「夢や希望や愛が手を離れて去ってしまった」と見えますか?

「保護下の純真と自ら決別し、未来の自由へと旅立つ少女」ですか?

「身勝手な大人たちの暴力によって命を失った少女」ですか?

どう考えるかは、あなた次第。

 

 

先日、姉から、

「『バンクシー展』のチケットを予約してあるんだが一緒に行かないか」とメールが届いた。

是非行きたいと思っていた展覧会だったものだから、

棚からぼた餅だと、甘んじて誘いに乗った次第。

聞けば、感染防止対策のため入場者制限を行っており、

映画館のように入場時間が決められた予約チケットになっているのだそうだ。

…知らんかった。自分だったら門前払いされるとこだった。

大体、当日券だもの。前売り券なんてほぼ買ったことないし。

「14時指定だから、クルマで行って、ランチして、見て、帰る。どう?」

「いいね。乗った」

と相成って、バンクシー謁見を果たした。

 

 

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バンクシーのアトリエ再現セット。想像図らしい。

 

謎のグラフィティ・アーティスト、バンクシー。

彼についての詳細は割愛。ググってください。

正体は不明だけれど、

今世界で最も名の知れ渡った現代アーティストという、

存在自体が矛盾を孕んでいる、バンクシー。

僕が彼を知ったのはニュース番組。

冒頭の『GIRL WITH BALLOON』がオークションにかけられた時のニュースだ。

 

2018年10月、オークションにかけられた『GIRL WITH BALLOON』は、

104万ポンド(約1億5千万円)で落札された。

と同時に、額縁に仕掛けられたシュレッダーが作動し、

作品が手打ちパスタのように裁断され始めた。

話題のアーティストの作品が最高額で競り落とされるという、

高揚と喝采の瞬間を収めるはずのニュース映像は、

瞬く間に、焦燥と混乱の瞬間を収めたニュース映像として、世界を駆け巡った。

 

驚いた。

世界中の人と同様に、僕も何故そんなことが起きたのか分からなかった。

事故?テロリスト?ルパン3世のような詐欺師の仕業?とか、思った。

そして後日、作者本人が仕掛けた罠だったと聞いて、二度驚いた。

なんてふざけた奴なんだ。

面白いじゃないか、と。

 

 

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『LOVE IS IN THE AIR』。

ガラスに会場の映像モニターが映ってますがお気になさらず。

日本の展示会には珍しく、写真OKだった。

ま、元がグラフィティアートだし、バンクシーだし。

 

例のニュースでバンクシーという名を知り、

次にバンクシーという画家のセンスが素晴らしいと思ったのが『LOVE IS IN THE AIR』。

一目見たら、この絵の人物が何者か、すぐに思い当たる。

ニュース映像で度々目撃する、暴動に加わる一般市民の姿。

されど、事実と異なるのは、手にしているのが火炎瓶ではなく花束。

このシンプルで、シニカルなパロディで、愛ある訴えに、

僕は胸のモヤモヤがスカッとしたような気分になったのを覚えている。

 

暴動は、納得のいかない体制に対して、市民が抗うことで起きる。

デモがエスカレートし、暴動に発展した、とか。

強い力に対して、武力には武力を、暴力には暴力をもって、抗う。

そんなニュースを見る度に、僕はモヤモヤする。

分からなくはない。けれど、違う。

それじゃ同じじゃないか、と。

暴力を止めることが重要なはずなのに。

 

もしも、本当に火炎瓶ではなく花束を投げ込んだら、どうだろう。

きっと素敵な光景が広がるんじゃないかと、想像する。

怒っているのは間違いない。だから覆面で投げつける。

でも、君たちと同じように人を傷つけるようなことはしない。

花束だ。僕は花束を投げる。

君たちに愛が届くように。

武装した機動部隊や戦車に当たって、花びらが舞う。

まるで結婚を祝福するフラワーシャワーのように。

次々に投げ込まれる花束に、辺り一面が色鮮やかに染まり、良い香りで包まれる。

そんな素敵な光景の中で暴力を振るうなんて、まったく野暮じゃないかい?

 

 

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『BOMB LOVE』。

少女が抱くのはテディベアではなく爆弾。

 

これも反面する二つの意図を含んでいるように思う。

僕は最初、背筋が冷たくなった。怖い絵だと思った。

軍国主義下のプロパガンダのように、無邪気な少女までもが戦争を正義だと、

敵を殺し、自分を守ってくれる爆弾は、

テディベアのように素敵なものだと信じ切っている、信じ込まされている姿に見えた。

けれど、じっと対峙していると、真逆の意図も見えてくる。

慈愛に満ちた少女の祈り。

利己心に任せ、利権や欲望や怒りに満ちた大人たちの爆弾を、

ぎゅっと受け止める少女。

爆弾が落ちないように、炸裂しないように。

我を失わないで。戦争なんて止めて。私を殺さないで、と。

どう考えるかは、あなた次第。

だから是非、考えてくれたまえ。

と、彼は常に問いかけてくる。

 

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『NAPALM』。

ナパーム。ベトナム戦争でアメリカ軍が使用した、全てを焼く尽くす怖ろしい爆弾。

 

この作品は初めて見た。

そして、その痛烈な皮肉があまりも鮮やかで畏れ入る。

ただし、皮肉を理解するには知識がなければならない。

彼の作品は一目で理解できるシンプルなインパクトが多いけれど、

この作品とかになると、日本の若者の何割が理解できるだろうかと、思う。

左右のキャラクターは100%分かるだろう。

けれど中央の少女が何者か、もっとも、少女かどうかすらも分からないのではないか。

その100%と0%の差が、僕は怖ろしい。

何も学ばず、何も考えず、固定された微笑みのキャラクターに導かれるまま、

再び戦争に賛同し、再び罪なき人々を焼き払うナパーム弾のような武器を、

容易く使用してしまいかねないのは、

この作品の皮肉が分からない者だと思うから。

 

 

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『SALE ENDS』。

セールは今日で終わりです。

 

彼は作品をもって、主張する。

政治、文化、戦争など、社会問題に対して「目を向けろ。そして考えろ」と。

彼は自由を愛し、それを阻む権威や流行などの大勢に対して牙を剝く。

そして、大勢に疑問を抱かぬ者たちを嘲笑し、けしかける。

「お前たちはそれでいいのかよ。俺は御免だがな」と言わんばかりに。

 

資本主義に発する消費文化、消費主義は、彼の重要なテーマ。

強い資本がより強くなるために作り出した経済システムは、

服もクルマも家も、ついてはイベントや休みの過ごし方までも、

「これが流行り」「これが便利」「こうしなきゃ幸せじゃない」と、

モノを買うことが幸せであり人生の価値であると、人々を誘導する。

そうやって思想よりも経済が優先され、

強くて大きい資本によって世界が動かされているということに、

彼は怖れ、怒り、警鐘を鳴らし、嘲笑う。

 

この世の終わりと人々が嘆くのは、

救世主が入滅したからではなく、セールが終わってしまうこと。

幸せって何だ?自由って何だ?

どう考えるかは、あなた次第。

 

 

他にもたくさんの作品があり、それぞれに彼の主張とセンスが詰まってた。

東京でも話題になったネズミもたくさんいたし。

元は街中の壁に描く落書き、グラフィティアートだからね。

 

人気があるのも頷ける。

総じて、カッコイイから。

グラフィティカルで、シニカルで、ユーモアがあって、ウィットに富んでいて、

悪ガキで、臆さないで、強い発信ができて、孤高で、正体不明でミステリアス。

うむ。クールでクレバー。アニメキャラなら結構強い系に違いない。

 

ただし、彼を崇拝するのは用心しなければならない。

彼自身が否定する流行に、彼自身がなってしまっているのだから。

彼は矛盾を孕んでいる存在だと、知覚しておかなければならない。

 

ただしただし。

パレスチナの壁に花束を投げる男の落書きを描ける奴は早々居ない。

行き過ぎた軍国主義や資本主義、それに伴う戦争、暴力、貧困、差別、

それに本腰を入れて解決しようとしない政府や権威ある者たち、

それを直視して考えようともせず、長いものに巻かれてヘラヘラ笑う一般市民。

彼の主張や行動力は、本物だ。

彼はただのヒーロー、弱い者の味方じゃない。

彼の牙はあなたにも向けられていることをお忘れなく。

 

と、僕は思う。

どう考えるかは、あなた次第。