昨日の春の嵐とは打って変わって、本日は穏やかな花晴れ。

急激な気温差に、日中はぽかぽか陽気を通り越して夏日を感じるくらい。

春分を過ぎ、日に日に陽が長くなっている。

季節は、巡る。

 

 

昨年末から、ほぼ毎日、

両親が取っ散らかした部屋と自分が放置し続けた部屋、

10年20年という単位で埃が積もり積もってきた我が家を片付けてきた。

 

始めたきっかけは、母を自宅で介護するためだったのだけれど、

結局母の退院が適わず、加えて新型ウィルス様様で、

リモート面会ですら外出外食を控えよという警戒態勢のため自宅警備員と成り果て、

ならば、片付けるべき所は山とあると、毎日こつこつ整理清掃を続けることになった。

 

これまでの進捗報告の通り、2月は自分の居住空間に手を付けていた。

何とか気持ち良く過ごせるくらいには部屋を復活させ、

後は浴室と洗面所、ああ、あそこも直したい、ここも磨きたいと、

やり始めたからこその欲が出始めた矢先、状況がまた変わった。

 

一つは、信頼できる人から「是非紹介したい仕事がある」と話が回ってきたこと。

本音としては、もう少しのんびりしていたいという不埒な考えでいたのだけれど、

頼まれた人が公私ともにお世話になってきた人だったので、

話だけでもと面接に伺うことになり、結果、良き人柄のオーナーだったため、

4月以降で就職することとなった。

 

もう一つは、母の容態が悪化したこと。

3月に入ってすぐの頃、再び病院から呼び出しがかかった。

2月末には再度リモート面会が可能となり、笑顔も見られたのだけれど、

その後1週間も経たないうちの呼び出しだった。

度々の心不全により容態悪化、今度こそもうダメかもしれない。

今まで何回聞いたか分からない説明を再び聞く。

ただ、さすがにここまで繰り返すとなると、いつ何時にその時が来てもおかしくない。

加えて感染防止対策は相変わらずの警戒態勢。

なので、この状況は乗じるべきだと、

僕は「最後になるかもしれないので、他の家族にも会わせてやりたいのですが、

いいですか?」とドクターに詰問した。

状況と同情から、ドクターはOKを出してくれた。

後日、姉家族、僕の元妻と子、要するに孫までの家族に会わせることができた。

けれど、そんなことが可能なほど弱っているのは事実だった。

 

上記2点により、3月は清掃ピッチを上げなければならなくなった。

今までのように、やりたいと思える場所に手をつけるという、

悠長なことを言っていられなくなった。

なぜなら、母の宝物庫は北座、日本家屋における死体安置部屋だからだ。

そして不要な物品の一時置き場は南座、いわゆる仏間を使用している。

きっかけの介護が遠退き、一番の闇を後回しにしていたら、

今度は葬式のために闇を何とか片付けなければならなくなったのである。

加えて、最低4月までに形にしないと、何らかの仕事が始まってしまう。

やべぇ。急がねば。がんばれ母ちゃん。片付くまで生きろ。

というのが3月中の願掛けだった。

 

願いが届いたのか、はたまた、僕が勝手に片付けているのが口惜しいのか、

母上の命は未だ尽きていない。

これが最後かもしれないという面会から、もうじき1ヶ月。

うむ。アンデッド。

お蔭で何とか片付けることができました。

…突貫工事でまだまだ難点はあるけれど。

ただ随分マシになったと思うよ。だって畳が見えてるもの。

押し入れも納戸も扉が開けられるんだよ。どこに何があるか分かるんだよ。

素晴らしく片付いたと思うよ。

そのために僕は、

あなたの努力や好みが詰まった生きた証を、

出来る限り丁寧に、保存と処分をしたつもりです。

立腹よりも安心をなされよ。

 

 

建てた時には何もなかった家も、

時と共に物が増え、思い出と共に塵も積もる。

住む者の状況も、時代時代に移り変わる。

春分を過ぎ、日に日に陽が長くなっている。

季節は、巡る。