ラートム。
画像は公式HPよりお借りしました。
而して、家の断捨離を続けている訳だが、
元より執念深い質の自分にとって、モノを手放すというのは尽く身を切る思いに苛まれる。
心ときめくか否か。使うか否か。
解っている。解っているのだが、
普段忘れていても手に取ればときめいてしまうのだよ。
普段使わなくても手に取れば「使える」と思ってしまうのだよ。
毎度毎度、不使用品を手に取っては、
要るのか要らないのかの判断を、いちいちぐぬぬと唸ってから、えいっと処分する。
母の収集癖に辟易し、悪態の限りをついているのだが、
その遺伝子は自分にも存分に遺されていて、
親子共々の執着心には改めて辟易しながら、改めて心改めようと誓いつつ、
毎日ぐぬぬと唸っている今日この頃の次第。
冒頭、突然の美少女画像で驚かれたかもしれないけれど、
決して「私の恋人です」と紹介しようというのではない。
彼女は某週間少年漫画雑誌の人気漫画の登場人物でシスター。
アニメーション化され、そのHPより画像をお借りした次第である。
このアニメーションを僕は喜んで見ている。
炎に包まれた世界で活躍する消防隊のSFファンタジー。
この物語では、謎の人体自然発火現象によって生まれる「焔ビト」が災いを招く。
この焔ビトのほとんどは、元は一般市民であり、
突然発火したかと思えば、自我を失い、周囲を火事に巻き込む怪物と成り果てる。
要するに、炎を纏ったゾンビなのだ。
この焔ビトを、主人公を始めとする消防隊の面々がやっつけるのだけれど、
その際に必ず行われる儀式がある。
その儀式を執り行うのが冒頭の美少女シスター。
時には「今ここにシスターがいない!やっつけることができない!」というほど、
重要な儀式だ。
けれど、儀式は至って簡単。
祈りの言葉を捧げるだけ。
その呪文がないと焔ビトが消滅しないとかのトドメの言葉じゃない。
実質、シスターが居なくたって焔ビトは倒すことができる。
極めて精神的な、宗教的な、祈りの言葉なのだ。
その祈りの言葉を、この物語では「鎮魂」と呼ぶ。
焔ビトは元市民だ。
なぜ発火したのか、なぜ周囲に脅威を与えるのか、自分では分からない。
そんな元市民を消防隊はやっつけなければならない。
焔ビトにとっても、消防隊にとっても、周囲の人にとっても、
鎮魂の祈りがあるか否かで、
その行為が、その意味が、その後が、大きく変わる。
この鎮魂の祈りが、僕は気に入っている。
時には、
「えええ。シスターがいないとか言ってる場合じゃないくらい囲まれちゃってるよ」とか、
「うむ。数が多い時はいちいち祈っていられないのだな」とか思うけれども、
この鎮魂設定があるか否かで、お気に入り度は大きく違うのだ。
その鎮魂の祈りの締めというか集約というかが「ラートム」。
キリスト教の「アーメン」が近いかと思う。
最近のフェイバリットワードである。
で、話は断捨離に戻る。
所持しているモノは、所持したいと思ったから所持したのであって、
あるいは所持したいと思わなくとも、大切な誰かからのプレゼントであるとか、
兎にも角にも、手元に置いておきたいモノばかりに相違ない。
されど、不使用だったり、新たなモノに取って代わられていたり、
時には不便を感じつつ、忌々しく思いながら使っていたりと、
愛着心とは裏腹に、所持してしまったモノで部屋は溢れている。
スッキリしたい。
モノも、己の感情も。
捨てることは容易いが、滞った愛着心をいかにスッキリさせられるか。
そこで、ラートム。
今までにも「ありがとう」や「ご苦労様」、「南無阿弥陀仏」など、
モノを捨てる際には色々と声をかけてきたけれど、
どちらかと言えば、モノに対して、モノに宿る付喪神に対してだった。
ゆえに、己の気持ちにどこか心残りがあった。
ラートム。
己の魂も鎮まりたまえ。
うむ。いい言葉だ。
こうして、本日は古着をずいぶん処分することができましたとさ。