以前に、

愛と憎について記述したことがある。

loveとhateが51%対49%ならば愛することができる、と。

この考えは今も変わっていない。

そして、この1%の正体が何なのか、ずっと考え続けている。

 

 

人の気持ちは、ほんのちょっとしたことで左右される。

例えば、「それ取って」問題。

テーブル上の醤油が自分よりも相手の方に近い。

取れなくはないけれど、僅かながら相手寄りの位置にある。

他の料理の配置や落下の危険性などを鑑み、

より効率的に醤油を手にしようとするならば、

「それ取って」とコミュニケーションを図ることが最適であるとする行為だ。

 

ただし、この「それ取って」の機微が問題だ。

相手が未だ他の料理の配膳を終えていない、

相手が今ちょうど料理を口に入れようとしているなどのタイミングであれば最悪だ。

また、先日来から失策を繰り返していて、度々相手の怒りを買っている場合も難しい。

加えて、コントのように、

新聞を読みながらとかテレビを見ながらとか、相手に向き合わずに言ったりだとか、

反対に、相手を気遣う余りに言いかけては躊躇を繰り返して挙動不審になるだとかも、

よろしくない。

タイミング、しぐさ、声の強弱、イントネーションなどの機微が、

「それ取って」を効率的にするのか、はたまた関係性をも壊滅的にするのか、

ほんのちょっとしたことで、人の気持ちは左右される。

 

この「ほんのちょっと」が1%に影響を及ぼす。

と、思う。

 

「そんなことまでいちいち考えながら行動なんてしないよ」。

大抵、皆そう言うだろう。

だからこそ、それを「人柄」と呼ぶ。

大雑把、生真面目、楽観的、悲観的、豪気、ヘタレなど、

人柄は喜怒哀楽の様々に、千差万別に表れる。

 

何が良くて何が悪いのか、そんなものはない。

個性に良い悪いはないと僕は思っている。

ただし、相性と言うように、

相手あっての事柄には、好き嫌いは必ず存在し、重要になってくる。

 

相手の人柄が好きだなぁって思う。

何がって言われても即答なんてできない。

容姿も、服装も、しぐさも、声も、匂いも、考え方も、行動も、

ほんのちょっとしたことだけれど、他の人とは異なって見える。

自分と似ていたり、自分とは真逆だったり、嫌いな所もあったり、喧嘩もしたり。

けれど、ほんのちょっとだけれどloveが勝る人。

1%の妙は、時間が経てば経つほど重要度を増す。

と思う。

 

そんな相手に、自分も1%のloveを感じてもらいたいなぁと思う。

変えようのない個性は致し方がない。

それを取り繕ってみても長続きはしない。

けれど、研鑽できることであるならば、やるべきだと思う。

美容室に行くのが面倒くさいと、

ボサボサ頭で「いい人いないかなぁ」とボヤいていても仕方がない。

かと言って、相手好みの顔面に整形し、ホルモン注射にエステにネイルに、

月の美容代が月収の3倍で借金まみれでは本末転倒だ。

己を知り、己を磨く。

0%でも100%でもない。1%を磨き出すために。

 

それが功を奏すか否かは分からない。

可能性と未来は約束されていないのだから。

現に僕は…うむ。止めておこう。

けれど可能性のある限り、ブラッシュアップし続ける人に、

僕は度々1%を感じちゃうんだよなぁ。

うむ。己も斯くありたいものであることよ。