人との繋がりとか、人間関係とか、

ヒトが群れで暮らす動物である以上、

どうやったって避けられない事柄だと、思う。

 

イワシやペンギンよりは少しだけ知能が発達したから、

意図的に関わりを増やしたり減らしたりすることは可能だけれど、

マンボウやイヌワシのように余命のほとんどを、

全くの身一つで、同種族と関わりなく単独で生き抜くことは、

もう、ヒトにはできない。

 

人との関わりは、悩みの種でもあり、楽しみでもある。

一人の方が気が楽。その通り。

一人なら他人に裏切られることも迷惑を被ることもない。

けれど、友人と遊んだり、恋人と愛し合ったり、

家族で食事をしたり、チームやグループで何かを成し遂げたり、

お祭りやコンサートやスポーツスタジアムでその他大勢と一体となって、

得も知れぬムーブメントを感じたりするような悦びは、一人では得られない。

 

一人は寂しいけれど、誰かと一緒に居ると気を遣って疲れる。

誰かと一緒に居るのは楽しいけれど、時には一人になりたい。

ヒトの気持ちは、そもそも相反したものが同居している。

自分が「都合のいいパートナー」になるのは癪だけれど、

皆、「都合のいいパートナーが居てくれたらいいのになぁ」って思ってたりするし。

「まったく、私は家政婦じゃないのよ」って憤慨してる奥さんの愚痴話のオチは、

「あーあ、帰ったら家事が全部片付いてて、料理を作って待っててくれる夫、

どこかに転がっていないかしら」が多いもの。

 

一人で居ても、誰かと居ても、「幸せだなぁ」と感じられれば最高だ。

そこまで届かなくても、不安を感じないで居られるならば、それは幸せだ。

意識があっても無意識であっても、この幸福感を感じられる状態を総じて、

「居心地が良い」と言うのだと、思う。

居心地の良い場所。居心地の良い関係。

この居心地の良さを多く持っている人が「幸せ者」なんだと思う。

 

高級マンションの高級ソファじゃなくても、

散歩道の公園にお気に入りのベンチがある。

年収1億円のイケメン社長や世界ランカーの美女じゃなくても、

くだらないことも大切なことも一緒に泣いたり笑ったり、話ができる人が傍に居る。

居心地は、自分で感じ、自分で得心するものであって、

誰かが決めた価値基準や誰かから見た評価で決めるものじゃない。

僕は馬鹿なので、

すぐ欲に駆られて、迷ったり浮かれたり凹んだり憤ったりしてしまうけれど、

それでも、自分の居心地は自分で感じたいし、

誰かにとって自分が居心地の良い存在であったらいいなと、願う。

 

 

先週の日曜日に、随分ご無沙汰な友人と会う。

すいません、あくまでカテゴリーとして友人と言ったまでで、

生意気だとかそういうつもりは毛頭ありません。

と謝るのも、友人は先輩で、僕の気持ち的には兄姉に近い夫婦だから。

と言いつつ、最後に会ったのは6、7年前になっちゃうだろうか。

 

先週の後輩に続き、御礼参りのように突如連絡を入れる。

ここ近年は年賀状のやり取りのみにも拘らず、

「久しぶりだね。いつ来られるの?」と心地良く機会を作ってもらった。

 

彼らとの関係は、1996年頃だから、24年くらい前から。

僕が名古屋の小さな出版社に就いた時の先輩で、

その時は未だ夫婦ではなく、それぞれがそれぞれに先輩だった。

なので呼称は未だに苗字で「Mさん」「Yさん」。夫婦になって二人ともMさんなんだけど。

二人は恋人だったけれど、僕は「食事行くんすか?じゃ僕も連れてってください」とか、

平然と二人に割り込んで迷惑をかけまくり、世話を焼いてもらった。

一緒に仕事をしたのは結局1年くらいだったけれど、

その1年の蜜月が、僕にとっては大切な1年になった。

 

彼らは、このブログを書き始めた頃の記事に登場している。

途方に暮れ、どうしたものかと思っている際に、遊びに連れ出してもらったりしてたから。

それ以前に、

結婚式に呼んだり呼ばれたり、離婚の報告で慰めてもらったり、

僕の人生において何かある度に世話になり続けている。

今回も「仕事辞めちゃったんで、遊びに行ってもいいですか?」とオファーし、

「久しぶりだね。いつ来られるの?」になり、

「何かないと連絡しないっていう。ほんとスイマセン」

「ほんとだよー。いい加減、たまには遊びに来なよー」

と相変わらずの応えをもらった次第。

ちなみに連絡は奥様のYさんと取る。間を取るのはYさんが長けてるから。

 

 

天気が良かったのでバイクで行く。

M氏に「ええのに乗っとるじゃないか」と言われ、ちょっと嬉しい。

ランチを食べに出るためクルマに乗せてもらうのだけれど、

何かと便利なワンボックスのファミリーカーではなく、ミッションの2ドアハッチバック。

この人、変わらない。だから、この人に「ええの」と言われて嬉しい。

たぶん気に食わなかったら「つまらんのに乗っとるなぁ」と言うに違いないから。

 

助手席に座り、当時を思い出す。

社外に出る際は大抵、彼が営業車を運転し、僕は助手席に座っていた。

そして当時も今も、僕は助手席で好き勝手な物言いをしゃべりまくり、

「でしょ?そう思いません?」と時折強引な同意を求めれば、

「だなぁ。早々上手くはいかんもんだ」とか、相槌や意見を返してもらうのがパターン。

そして後部座席からYさんに「で、どうなったん?」と促され、

「それがですね…」と僕はまたしゃべり続ける。

聞き上手に促し上手。

僕は大抵、二人を前にすると一日中しゃべり続ける。

この日もランチの後、家に上げてもらい、夕方になるまで、

近況や愚痴やどうでもいい話をしゃべり続けた。

小学生の一人娘とネコ2匹よ、すまん。

父ちゃん母ちゃんを一日占有してしまった。

ま、僕は君たちと同等な部類なので許してくれたまえ。

 

 

物の捉え方や考え方が似ている。

けれど、まったく同じではない。

根底が似ていて、表出が全然違う。

だからこそ面白くて、居心地が良い。

 

僕は、二人と話している時が最も正直な自分なんじゃないか、と思う。

二人には、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきり言えるから。

長く生きていると、右を見て左を見て、上も下も、経緯も将来も、

あれこれ考えた上で発言しなければならないことが増える中で、

思ったことを思うままに、はっきり言い切れることは少なくなってしまうけれど、

彼らには言える。

なぜなら、僕は完全無敵の後輩だから。

どうやったって追い越すことができない完全無敵の先輩には、

図々しく甘えることが許される。

 

僕はこの先、幾つになっても彼らの後輩で在り続ける。

そしてたまに訪れては、「ちょっと聞いて下さいよ」と言いたいことを言い、

「お前は馬鹿だなぁ、本当に」と褒められに行こうと思う。

面白い人間で在り続けるために。

 

 

無事家に帰り着き、帰還報告とお礼のメールを送る。

「今度はもう少し狭い間隔でご連絡します」って付け足したら、

「そうね。次回はもう少し近い間隔で会おうねー」って返って来た。

…帰り際に話したのが「日暮さん」のこと。

長期連載の某派出所漫画で、

4年に一度オリンピックイヤーにだけ登場する「日暮さん」。

今現在、僕は日暮さん以上にM家に登場していない…。

うむ。彼よりは登場回数を増やそう。