息が詰まる状況から解放されると、
ほっと息が漏れて、脱力と共に安堵が訪れる。
良き緊張や集中からの解放は、その一息だけで気持ちがリカバリーされ、
次の行動への活力が満たされたりする。
楽しかった旅先から帰宅し、ソファで息をついて、しばし天井を眺めた後、
「さ、珈琲でも淹れて、荷ほどきするか」というように。
けれど、余りに長く息が詰まってしまうと、
息の仕方も、解放されたのかどうかすらも、不確かになってしまったりする。
「本当にこれで良かったっけ」というように。
そんな場合、
詰まってしまった息を吐き切るための時間が、少し長めに必要だ。
殊に、僕のようなダメ人間には。
仕事から戻り、夕飯を食べたら、ソファで寝落ち。
気が付けば真夜中で、慌ててシャワーを浴び、溜まった録画を見始めるも再び寝落ち。
そんな生活が続くと、休みの日は何もしないか、気晴らしに出るかの2択。
つまりは掃除や洗濯といった生活必需作業が、どんどん後回しにされるのであって、
思考回路は「最低限、何をすればいいか」というトリアージでしか動かない。
結果、未開封の郵便物が高く積み上がったり、
浴室の隅々にカビが住み着いてしまったり、
窓なんて最後に拭いたのがいつだったかも思い出せなかったり、
という事態になってしまうのである。
開放されたのだから、時間がある。
ということは、今まで溜めに溜めた生活作業が可能。
さ、やるぞ。
と思い立つのが午前2時で、さすがに朝になってからだろとベッドに潜れば、
朝目覚めて眺める汚部屋は見るに堪え難く、
うむ出かけよう、いい天気だし。
となってしまうのである。
しばし、時間が必要だ。
結局、時短ながら火水木と引継ぎのために職場に通う。
まだまだ心配なことは沢山あるけれど、これでは何も変わらないし、解決にも近づけない。
そう思い立って、「次は来週に」と切り上げた。
スタッフはスタッフで、今後は自ら道を切り開かなくてはならない。
僕は僕で、少しずつ息を吐かなければならない。
と、いつものように言い訳をしておいて。
週末は、台風からの雨という予報に諦めていたのだけれど、
朝になって曇りのち晴れに変わっていたものだから、
これは涼しくって丁度いいんじゃないかと、ゆっくり準備に入った。
泊りがけでのロングツーリングをしたくって仕方がないのだけれど、
辞めたはずの仕事のことや、
仕事で疲れ果てて不義理にしてしまっていた友人知人とのことなど、
まだまだ解決すべきことが残っているので、近場の散策を繰り返すことにしている。
道や面白いものなど、新しい発見はどこにでも転がっているから退屈はしない。
曇天の下、あんまりこっちには行ったことがないなぁという体で、
小一時間程走らせていると、道の駅の看板が出てきた。
日本の街道沿いって本当に便利。
コンビニもガソリンスタンドも道の駅も、探さなくてもそこかしこに在る。
道の駅「関宿」にて、亀山名物「みそ焼うどん」。
甘辛い赤味噌ダレで炒められた濃い味焼きうどん。
元は焼き肉屋でホルモンを炒めた残りダレにうどんを入れてシメにしたのが始まりだとか。
B級グルメ東海地区の上位メニューらしい。
…僕は知らんかったけど。美味しかったから良し。
【関宿】
三重県亀山市にある、東海道五十三次の47番目の宿場町。
宿場の名は、「愛発の関(越前)」、「不破の関(美濃)」と共に、
日本古代三関と呼ばれる「伊勢鈴鹿の関」に由来する。
古くから東西の交通の要衝であり、
江戸時代には旅人の通行も頻繁になって、大変賑わったと言われる。
約2kmに渡って、街並み保存された景観が守られ、
国の「重要伝統的建物保存地区」に選定されている。
銀行も外観を保って。
観光客が散策で歩いているけれど、生活道路でもあるから乗り入れ可能。
古には旅籠や商店だっただろう町家が、
左右にうねり、起伏のある細い道の脇にずらりと並んでいる。
現代の街並みではなかなか見られない景観だ。
街は、道によって出来ていく。
もちろん、初期の集落は水や土地など、
暮らしやすい条件が揃った場所に出来上がっていくのだろうけれど、
その集落同士を結ぶ、移動、交通という展開こそが、
文化を飛躍的に発展させ、街を造るのだ、と思う。
京や江戸のように、大規模な都市計画で造られた都も、
まずは道をどのように敷くかから始まっているのは見ての通り。
現代では、自動車の通行が何より中心であり、
すでに出来上がっている街には、新たな道路を敷いたり、
道幅を拡げたりするスペースはなく、郊外に新たな道路、便利な道路を敷けば、
そちらに街がどんどん移動していき、元からの街は旧市街と呼ばれたりする。
ついには人がいなくなって、一から再開発され、元の街はすっかり消えてしまうこともある。
街は、道によって出来ていく。
未開の地において最も歩き易かった所を、誰かが歩いた。
後から続く者は、先に歩いた者の跡を辿って歩いた。
そうやって踏みしめられた跡が、道になった。
現代のように、山を切り崩したり貫いたり、大河や海峡を渡したりするのではなく、
どうやって山を、谷を越えるのか、
人が代々に渡って自然を考察してきた跡が古来の道だ、と想う。
左右にうねり、起伏のある細い道の脇に、町家が並んで建っている。
この地を最初に歩いた誰かの足跡を、どれだけの人が辿ったのだろうと、
思いを馳せるに足る、良き道だ。
と想う。
ただね。
街並み保存の中途半端感が半端ない。
普通に建て替えちゃってる家が混在してたり、
空き家になって崩れかかってる町家が多かったり。
妻籠馬込みたいに、外観だけ残して中はお洒落カフェにリニューアルとか、
もうちょっと観光地化してもいいと思うんだけどな。
新型ウィルスのせいもあるだろうけれど散策者もまばらで、寂しい限り。
家主は当然ながら生活もあるんだし、大変だとは思うけど。
秋蕎麦の花。
早めに帰路について、田舎の風景を。
曼殊沙華の季節。
今年はちょっと咲くのが遅かった。
帰りに峠を越えたら、気温計が18度の所も。
一枚パーカーを持ってって良かった。
頂上付近は霧雨みたいになってて、道路がウェットだったし。
あー怖かった。
と、気晴らしから帰って脱力してたのだけれど、
昼にラヂオ屋から珍しく電話があり、
「夕方、家にいるか?」と言うから、脱力のまま待ってた。
で、再び電話が鳴り、「着いた」って言うから玄関に行く。
大体このパターンは、
奴がどこか旅行に行き、土産を持参するとか、
ビッグマミーが「持ってって食わせろ」と何か持ってくるとかだ。
玄関を開ければ、やはり手土産を持ったラヂオ屋が現れた。
やっぱりなと思うのも束の間、後ろにもう一人の影。
「これは駄賃だ。ちょっといいか」
「ん?有難く頂戴するが、どうゆうこと?」
「お前に名前を書いて欲しい書類がある」
「んん?…とりあえず上がるか?」
彼の後ろに着いて来てたのは、彼の恋人だった。
そして彼が手にしてた書類は婚姻届。
僕は言われるがままに、保証人蘭に名前を書いた。
彼の恋人の実物と会うのは、実はこれが初。
話には聞いていたけれど、仲間内では「二次元なんじゃね?」説が有力だった。
容姿に似合わず照れ屋なところがある彼は、
初めましての挨拶もなしに「ここに書け」と急かすものだから、
こっちも「離婚届にも書いておかなくていいか?」と茶化すのが精一杯で、
「ああ。聞いてはいたけど馬鹿な人たちね」という彼女の心の声が聞こえそうだった。
「次の用事がある」と怒涛のように去って行った二人を見送り、
夜の帳が降り始めた空を眺めて、想う。
ああ、部屋の掃除や片付けは、後回しにしちゃダメなんだなぁ、と。
ごめんね、奥さん。汚部屋の主が保証人になっちゃって。
これからも末永く、呆れないで、お付き合いください。
あと、
たまに、ほんとにたまにでいいから、僕にラヂオ屋を貸してくださいな。
9月26日、土曜日の話。