僕が、畑違いな職に就いたのは、

これまた一つの理由ではなく、様々な考えや巡り合わせで就いたのだけれど、

その一つに「これは徴兵だ」という思いがあった。

 

何だか徴兵と言うと、物騒で非平和的な響きになってしまい、

良からぬ傾向の持ち主なんじゃないかと誤解されそうだけれど、

「社会機能における、労力の納税義務」という意味で、

社会福祉事業へ従事することは、僕の中では徴兵と考えるのが最も近く、

自分を納得させる理由の一つだった。

 

 

徴兵制を取っている国は、今も多くある。

「韓国の男性アイドルが徴兵制のため活動休止」とか、

耳にしたことがあるんじゃないかと思う。

もちろん、その北にある国もだけど。

 

社会福祉政策に重きを置き、世界的にも平和的だとされる北欧諸国。

実はその多くは、今も徴兵制を行っている。

大国、先進国と呼ばれる国々は強い軍事力を持っていて、

徴兵制を強いているようなイメージだけれど行っていない。

なぜか。

背景として、まず人口が異なる。

次に、強い軍隊には地位と名誉、そして職業としての収入が与えられる。

人がたくさんいれば分業ができ、憧れの職業になり得るのだ。

ゆえに大国では、志願制で十分な兵士が集まる。

 

人口は少ないけれど、国を守りたい。

となると、皆で色んなことを兼務しなきゃならない。

年少者や年配者では、いざという時に戦えないから、

適齢者、すなわち若者たちには当番で兵役についてもらうしかない。

北欧諸国の徴兵制は、そういうことだろう。

ちなみに国会議員でさえ、副業が当たり前の国だ。

 

 

誰が役目を担うのか。

社会機能を維持するためには「やらなければならないこと」が必ず出てくる。

掃除、洗濯、調理は誰がやるの?

PTA役員や自治会役員は誰がやるの?

ゴミ収集や下水道管理は誰がやるの?

国を守り、いざという時、誰が戦うの?

皆がやりたくないと言ったら、機能は停止するしかない。

 

少子高齢化が目に見えて進んでいる中、

我が国は、誰が高齢者や障害者を介護するのか。

志願制で人が集まるような名誉も収入も保障されない。

積極的な自主性を育むような教育も成されない。

ゆえに、現実として介護職に対する世間の評価は、

「良い職に就けなかったやつがやればいい」

「献身的な自己犠牲が好きなマゾヒストの偽善者がやればいい」くらいの、

薄暗い本音が充満している。

一昔前なら、

「家に入ったんだ。嫁がやって当たり前だろう」

という隷属が、社会機能に移行しただけで本質は少しも変っていない、と思う。

 

なのに、需要は益々増し、

社会機能となったことで社会的責任が発生し、

「サービスなんだから高い質を保て。怠ることは許されない。これは義務だ」

と要求は過剰なまでに高められている。

にも拘らず、保障など毛頭与えられないで、

「良心と自助努力で」と精神論で乗り越えろと言わんばかりだ。

「誰かがやってくれるでしょ」では済まない事態がひっ迫しているのに、

誰がそんな仕事を引き受けるというのか。

 

 

ドイツでは、

「徴兵制で兵役に就く代わりに社会福祉施設等で働く」という制度があった。

良心的兵役拒否の非軍事役務の義務というものだ。

その後、世界が東西冷戦の終結など少し平和になったため、

徴兵制自体が2011年に停止され、同時に非軍事役務もなくなった。

ところが皮肉なことに、この代替えの役務が、

いつの間にか福祉の現場で重要な担い手となっていた。

となると、若者が当番を免除され「やらなくていいなら、やらねぇし」となり、困ってしまう。

そこで「連邦ボランティア法」が制定された。

この制度は生涯教育の促進が目的の一つとされ、

期間等に制限はあるけれど、年齢に上限の制約はなく、

宿、食事、小遣い、社会保険の加入、休暇などが保障される。

福祉意識の高い者なら誰でも、保障の下で働き、誰かの役に立てるように。

世界は色々と、考えている。

 

 

僕は馬鹿なので、

己のエゴに従い、周りの人たちの迷惑も省みず、

好奇心と興味のままに行動してしまうダメ人間だ。

ゆえに少しでも真っ当に、誰かの役に立てないものかと右往左往してきた。

「どうか悪い人間になりませんように」と婆さんに祈祷されて以来。

 

非軍事役務、終了。

約20年間の兵役を退役致します。

そして、新たな小規模の非軍事役務に就こうと思います。