桑名市。
三重県北部に位置し、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川の河口にある街。
西は京都に通じ、東は尾張から江戸、北は近江から北陸、南は伊勢への入り口であり、
木曽三川の渡しや太平洋航路の伊勢湾の港湾都市として、
古より日本列島中央の交通の要所である。
東海道五十三次の42番目の宿場。現在は名古屋市のベッドタウン。
名物筆頭は「その手は桑名の焼き蛤」。
桑名駅は、JR関西本線と近鉄名古屋線が一つになっており、
近鉄養老線、三岐鉄道北勢線が別路線で延びている。
当然ながら、街の中心。
この桑名駅、全体が老朽化してきており、現在改装中である。
てか、もう随分前から、駅前も併せて都市再開発が進められている。
桑名駅東口直結、「桑栄メイト」。
地下1階、地上6階建のいわゆる雑居ビル。
診療所、ブティック、美容室、飲食店、スナックなどが入り、5、6階は住宅だった。
1973年にオープンした、駅前に残る最古参のビルである。
桑栄メイトが閉館になる。
衝撃が走った。主に、僕とラヂオ屋界隈で。
噂はかねがねあったけれど、今度は本物だった。
2020年7月で閉館になる、と。
我々と同い年の、青春の1ページ、否、数ページが残るビルが消えてしまう。
とは言え、診療所やブティックなどは全く行ったことがない。
僕の思い入れは、2階の連絡通路の飲食店街のみ。
中でも思い入れのある店には、もう一度行かねば。
と言うことで、所用がてらにランチに出た次第である。
うむ。分かりやすい表示。
2階は連絡通路として、東側からの通勤や通学の人たちが行き交う。
ゆえに、その両側が飲食店街になっており、ビルのメインストリートである。
このハゲ散らかしたグリーンの床。変わらない。
そして、まずは右手に見える餃子の店「新味覚」へ。
見よ、この絶妙な焼き具合。そして、この衛生感。
奥に見える刻みニンニクたっぷりの、手作り感満載な上に、
蓋など無用というガラスのマグカップ入りラー油を、
素敵な異性に出会うことなど毛頭考えずに、
これでもかとぶち込んで食すのが僕の礼儀だ。
以前にも紹介したような気がするが、ここは焼き餃子しかない店だ。
水餃子とか揚げ餃子とかの話ではない。ラーメンやチャーハンどころか、白飯すらない。
基本は焼き餃子にビール。あとは日本酒かコーラかオレンジジュース。
そして写真のように牛乳が名物っちゃ名物である。
そしてお分かりだろうが、お冷と同じコップで出てくるという豪胆さだ。
席はカウンターのみの10席。たぶん。
本店は四日市市にあるけれど、暖簾分けというか、ほぼ別店じゃないかと思う。たぶん。
無口で不愛想な店主は黙々と餃子を焼き続け、
三角巾に割烹着のおばちゃんが3人、飲み物や勘定の世話をする。
彼女たちのメイン業務は餃子を包むことだろう。
午前中だと、営業中も奥で黙々と餃子を包んでいるのを見かけたことがある。
席に着けば、お冷とお手拭き、餃子のたれがカウンター上部に出される。
そして、ほぼ間髪入れず、何も言わずとも餃子が一皿出てくる。
だってここは餃子しかない、餃子を食べに来る店なのだから。
これがこの店の作法なのだ。
飲み物は、入店時もしくは飲みたい時に呼びかけて頼めば出てくる。
さらに、おかわりは空いた皿をカウンター上部に乗せればよい。
これも作法。乗せれば「2枚目をください」というサインと見なされるのだ。
なので、決して居酒屋などでテーブルを片付ける感覚で乗せてはいけない。
次が出てきちゃうから。
無駄話をしない、超が付く不愛想な大将の行き着いたやり方なのだろう。
パリっと焼けた皮に、適度にジューシーな餡。
ニンニク増し増しのたれに浸して、一気に口に放り込む。
焼き立て熱々にホクホクしながら、至福の食感と味覚を愉しむ。
美味い。
匂い消しなどと言う都市伝説ではなく、
味覚をクリーンアップするために牛乳は役に立つ。
ま、クルマで来てるからアルコールは飲めないってのはあるけど。
2枚と牛乳1杯が、僕の安定のコース。
最後は、箸を乗せた空き皿をカウンター上部に上げて「ごちそうさま」と告げればOK。
大将が「お勘定」と一言発し、おばちゃんがカウンター越しに支払いをしてくれる。
この店は、ここ数年でラヂオ屋と入ったのが最初だ。
というのも、若かりし日は入れなかった。
申し訳ないが、中学高校の頃のこの店への印象は、
「昼間っから酒を浴びてるダメな大人が集う店」だった。
テスト明けなど早く学校から帰る日に、桑名に住む友人宅へ遊びに出る。
電車を降り、桑栄メイトの通路を通る。
暖簾の向こうに見えるカウンターには、赤ら顔の年配者がちらほら。
聞こえていたのか、想像か、酔っぱらいは愚痴や大法螺を吹いている。
ちゃんとしたオトナなら働いているだろう、平日の昼間なら。
そう見下しながら、前を通り過ぎた記憶がある。
ラヂオ屋は「親父が手土産に買って来てた」とかで、幼い頃から食べたことがあったそうだ。
しかしながら、やはり暖簾を潜るのはなかなか度胸がなかったらしく、
二人して「行ってみようぜ」と突入したのが数年前。
以来、美味い餃子が食べたいとどちらかが言い出すと、訪れるようになった。
こちらもいいオトナになったので、隣の客も理解できる。
他人様が休んでいる時に汗水流し、平日昼間にようやく休める者もいる。
せっせと働き通して、人知れずリタイアした者もいる。
ネットのグルメ情報を見て突入し、店の作法に右往左往する若いカップルもいる。
ギャンブルに負けたとクダを巻く、相変わらずのダメな者もいる。
井の中の学生如きが安易に見下せるほど、世間は安易ではない。
美味い餃子は、全ての者に平等だ。
そば・うどんの「桔梗屋」。
今日ははしごランチだと決めてかかってるので、餃子は前菜。
このサンプルケースも昭和感漂う逸品。
ここは和食の麺処なのだけれど、こそゆえ「中華そば」が美味しい。
削り節と生姜の効いたスープに、昔ながらの卵かん水のちぢれ麺。
最先端とか新感覚とか、そういうラーメンではなく、懐かしい中華そばである。
が、昼時で席が埋まっていて、「お待ちください」と言われた。
ここに来て、初めての出来事である。
今までなら、貸し切り状態ってこともあったのに。
閉店の駆け込みってこともあるのだろう。
だがしかし。
それもあるかもしれないが、一番の要因はヤツのせいだった。
いつもなら、混んでいる時には「相席になりますが、よろしいですか?」と言われ、
僕のような一人者は、4人掛けテーブルに一人か二人で座っている人に、
対面で押し込まれていた。
それがヤツのせいで敵わないのだ。まったく忌々しい。
しばし待って、ようやく席に通されようとなったのだが、
案内のおばちゃんが「大丈夫だと思うんですけど…」と言葉を濁す。
なぜなら僕の後ろにももう一人、一人客の女性が待っていて、
6人掛けのテーブルで斜めに二人なら相席でも良いかと言うのだった。
まったく何たる営業妨害だ。小さな食堂で相席は当然なのに。
幸い、後ろの女性も「こんな不審者と相席は勘弁願いたい」とは告げず、
快く応じてくれたため、少なからず店の利益とおばちゃんの安堵は確保された。
これぞ和風。前はナルトだったと思うけど、カマボコってのも乙だね。
「コショウ、使います?」と相席ゆえの優しいお気遣いも頂きました。
袖振り合うも他生の縁。そーしゃるでぃすたんすでは故事も台無し。
ここは学生時代にも何度か入った。やはり早帰りの時だったと思う。
手っ取り早く腹を満たしたい。そんな感じだったと思うけど。
今になって、このスープの味が身に染みる。
最後は手土産だ。僕の胃袋では、もう入る隙間がないし。
幸いテイクアウトが可能なものでもあるし。
ぎゃふん。
まじかぁ。残念だなぁ。
という訳で、少し前に行った時の写真を。
東海地方唯一の「ドムドムハンバーガー」。
「お好み焼きバーガー」とか「厚焼きたまごバーガー」など、
他のファストフード店にない変わり種もあるけれど、僕はてりやきバーガー。
ここはまさに学生時代の聖地だった。
やはり早帰りの日、ここでテイクアウトし友人宅で食べるのが楽しみだった。
僕の家は田舎にあるので、徒歩圏内にファストフード店などない。
今でこそ徒歩15分なら何とかというコンビニができたが、学生の頃にはなかった。
加えて、母上は添加物が大嫌いという御人だったので、
ファストフードは仇のように嫌っており、一切食べさせてもらえなかった。
なので、悲しいことに、
僕にはファストフードやファミレス、インスタントラーメンや駄菓子は遠い存在だった。
そして、憧れの対象でもあった。
テレビCMに映る、楽しそうで美味しそうな光景を「いいなぁ」と指を咥えて見ていた。
ちなみに、僕のハンバーガー初体験は、
たまの家族旅行の際、高速道路上のSAで休憩を取った時に、
小腹を満たすものが売店に無く、仕方なしに自販機で買ってもらったやつである。
蒸気加熱か何かのため、箱もバンズもふやけてフニャフニャになってるアレが、
禁断の味であるがために堪らなく嬉しくて、美味しかったものである。
中学で私立に通うため、僕は電車で移動するという手段を手に入れた。
街に住む友人ができ、家庭内合法的に、世界が広がった。
そしてファストフード店で昼食を購入するという、
街の学生にとっては当然の行いを、自由の象徴のように手にした。
その店こそ、ここドムドムなのである。
初めて食べた、てりやきバーガーは驚愕の美味しさだった。
てりやきバーガーはモスバーガーが発明したらしいけれど、
モスなんてのは近隣になく、他店でも東海地区はまだ販売していなかったと思う。
ゆえに僕の中でてりやきバーガーと言えばドムドム、ドムドムと言えばてりやきなのである。
同郷の友人と感動し、相当ハマった友人は帰りに再びテイクアウトしていたっけ。
桑名店はフランチャイズ店なので、店主が変わらない。
ということは、そう、僕が学生の頃、否、それ以前から現在まで変わらないということだ。
これが桑名店の名物でもある。
ご夫婦で経営されており、ファストフード店の帽子とエプロンを纏った、
人の良さそうなお爺さんとお婆さんがいつも店に立っている。
常連さんとは商店街の小売店が如く、世間話を交わしながら。
この光景は、幾度となく地元新聞などに取り上げられていた。
これが閉店。
一際、寂しさが募る。
面白いというか、昭和のままの喫茶店のようなファストフード店だった。
嫌煙者には申し訳ないが、イートインは喫煙ができた。
ゆえに営業のサラリーマンやタクシー運転手らしき人などが休憩に来てた。
ドリンクも昔懐かしい、ま緑のメロンソーダやメロンフロートがあった。
僕は最近あまり見かけないセブンアップを頼むのが恒例だった。
それらは、風潮より長年の馴染みを大切にした店主の理念だと、思う。
それをただの害だとするなんて、どうかしてる。
嫌なら選ばなきゃ良いのであって、正せなんて言う必要ないじゃないか。
話が逸れた。
おじさん、僕は常連じゃないけれど、思い出の味をちょいちょい食べに来てたよ。
長年、お疲れさまでした。
僕よりも、家族で訪れていたり仕事で近くに来た際に寄ったりと、
思い入れの深いラヂオ屋は度々「寂しいなぁ」と嘆いている。
同じような感慨で、駆け込み需要の人も集まるだろうし、
「あと何回、食えるかな」がしばらく話題になりそうだ。
老朽化やアップデートは時の流れ。
致し方ないけれど、別れを惜しむのも人の情であることよ。
ちなみに、さぞ食いたかろうと、桔梗屋で中華そばを啜りながら思いついた。
そうだ、あいつに持ち帰り餃子をプレゼントしてやろう、と。
ぎゃふん。
まだ昼の13時だというのに。駆け込み需要恐るべし。
ま、この店のこの張り紙はよくあること。
「今日は売れるから、もっと作って稼ごう」という気配は皆無。
ここで食べるために定時にあがって、ラヂオ屋と息せき切って来て、
目の前で「今日はおしまい」と言われたこともしばしばだから。
しかし、手書きで「あしからず」。趣ありすぎ。