先週の日曜日は面会日だった。
寝ぐせの付いた長男次男とイヤリングでお洒落した長女。
3人とも健康で、我が家で一日、休日を過ごす。
長男の卒業式は行われたとのこと。
卒業生と保護者のみだけれど。
今は自動車学校に通い始めていて、実車教習の第一段階に入った所だそうだ。
次男と長女は学校が休校中。
次男はアルバイトをしているのだけれど、学校から禁止令が出され中断中とのこと。
小遣い稼ぎもできず参ったよと、頭を掻いていた。
長女は春休みが長くなって、ちょっと嬉しそうだった。
出掛けたり外食したりするのは、さすがに自粛。
昼食夕食は久しぶりに僕がまかなうことにした。
遊びはビデオゲームやトランプなど室内で。ま、これはいつもとそんなに変わらない。
ババ抜きを心底楽しめる、中学生、高校生、大学生の兄弟妹。
僕が伝えたかったことは、ちゃんと伝わっているようだ。
長男と今の大変な世情の話を冗談混じりに話していて、
僕はふと最後に「この問題は人間性が問われる」とこぼした。
返事など期待していなかったし、問い返されたら「何でもない」と答えただろう。
したらば、長男は少し間を置いてから、「そうだね」と言った。
伝わっている。そう、思った。
イタリアでの感染状況は日本と比べられない程、忌々しき事態となっている。
その差は何かについての噂を耳にしたことがあるだろうか。
挨拶が原因、だという噂。
親しき人、これから親しくしたい人、
それらに自分の親愛の情を伝えるため、イタリアではハグとキスで挨拶をする。
この接触のせいでウィルスの感染が拡がったのだ、と。
そして、次に継ぎ足されて囁かれる言葉までがセットになって口伝される。
日本は良かったわ。そんな挨拶をしないから。
日本は、なんて寂しい国だ。
この噂を聞いた時、率直に僕はそう思った。
そして今日、今イギリスで拡がっているキャンペーンのニュースが流れた。
「拍手を送る」というキャンペーン。
外出を自粛している家々の窓やベランダから、
SNSの動画から、
困難な状況で健闘している医療関係者たちに敬意を表して拍手をする。
同様に、フランスのエッフェル塔でも、
「MERCI(ありがとう)」という言葉が電光掲示板に掲げられている。
日本は。
感染者が確認された病院の医師や看護師がタクシーに乗車拒否されたり、
病院に出入りする業者が来なくなったりしていると、
日本医師会会長が、批判や中傷をやめてくれと声明を出す事態。
当然ながら、一般市民の噂話はもっと醜悪で、
「あの病院はヤバい」
「あの人、あの病院の看護師じゃなかった?子供が同級生なんだけど…」
「何で感染者を受け入れたんだ。私のかかりつけ病院なのに」
と、これでもかと叩きまくっている始末。
本当に、日本はなんて寂しい国だ。
今こそ、思いやりや優しさという、
人が人と支え合って暮らすために必要な人間性が問われている。
と、僕は想う。
宮沢賢治 『雨ニモマケズ』より抜粋
東に病気の子どもあれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りの時は 涙を流し
寒さの夏は おろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい