よくある心理テストで、

「あなたの深層心理を暴きます!あなたの本音は如何に?!」的なものは、

基本、“初めて”であることが重要だ。

 

例えば、

「次の色でイメージする異性を思い浮かべてください。

1:赤、2:青、3:白、4:ピンク、5:紫」

答えは、

「あなたが思い浮かべた人をどのように思っているか。

1:兄弟、2:恋人、3:理想の人、4:友人、5:セフレ」

なのだとか。

 

合コンで初めてテストされたとしたら。

いいなと思った子を紫に選んでしまい、

「どうせ私のこと真剣に思ってないんでしょ。ぷん」

なんてことになったりならなかったり、

ないなと思った子を青に選んでしまい、

「私のこと、そういう風に思ってくれてるんなら付き合ってあげてもよくってよ」

なんてことになったりならなかったり。

 

だがしかし。

初めてではなく、答えを知っていたとしたら。

深層心理ではなく、表層心理として操作可能になり、

言わば「深層心理詐欺」が行える状態となるわけだ。

故に、テストの意味はなくなり、問題は二度と使えなくなる。正当な使い方として。

 

唐突な、まどろっこしい始まり方だけれど、

知る、ということの両刃を喩えるなら、そういうことだなと思う。

「知ってしまったことは知る前に戻れない」と。

 

 

ストレスという言い方は好きじゃないのだけれど、

キャパシティオーバーな状態が続き、思うように事が進まず、

気が付けば溜息が出てしまうような、ストレスフルな状況って、ある。

そんな時、どうすればそれを解消できるかが課題となるわけだが、

ここに「知ってしまった問題」が浮かび上がるのだ。

 

体を動かす。自然に触れる。趣味に没頭する。

お酒を飲む。カラオケに行く。愚痴を聞いてもらう。

ヨガをする。ホットミルクを飲む。アロマを嗅ぐ。

ストレス解消法とか、うつ病予防とかに出てくるのは、こんな感じだろう。

最終的には、

「仕事を離れて、自分の好きなこと楽しいことをやりましょう」的なことでまとめられる。

仕事を離れても仕事の不安がよぎり、

好きなことにも手が付かなくなっちゃうからストレスフルだと感じるのに。

 

知らなければ、

「ああ、それは目から鱗だ。やってみたら何だかスッキリしたよ」となるのかもしれない。

しかし、知ってしまった場合、

手あたり次第、上記のようなことを試したとしても、大きな効果が期待できないのだ。

 

殊更、僕はそういう対処に関わるような仕事に携わってきたから、

知り過ぎていると言っても過言じゃない状況下にあり、

いざ自分がそうなった時に、目から鱗には全く成り得ない。

やってみたとしても、残念ながら表層にしかならない事が多いのだ。

ひねくれた性格のせいっては大いにあるだろうけれども。

 

だから、重症にならないように、

対処できるものは対処できるうちに、何とかしようと心掛けている。

けれど、表層が表層雪崩を起こし、いかんせん、どうにもこうにもって時がくる。

それが、昨年夏頃から、ズキズキと痛んで止まなかった。

 

 

と、長居前置き、言い訳とも言うが、

そんな時は気分刷新、新しいことに挑戦すべし。

驚きと自棄が妙薬になるに違いないと、

昨年の晩秋に大型自動二輪の教習に通ってみた次第。

 

これが、惨敗。まったく上手くいかないのだ。

普段、何気なく出来ていることすら失敗してしまう。

失敗すれば、それがトラウマのようになり、ますます上手くいかない。

何をやるにも不安が先立ってしまい、体が思うように動かない。

体が動かなければ、二輪車のバランスなんて取れるわけがない。

本当に、アスリートが罹るイップスみたいな症状に随分悩まされた。

比較にするなって感じだけれども。

 

元来、こういう度胸に関しては自負があったのに。

緊張など無縁と思っていたのに。

いつの間に僕は委縮し、不安に絡め取られてしまうようになったのか。

溜息に溜息が重なって、かなり参った。

 

 

結果、何とか取れましたよ。

最短教習時間の倍ほど補習に通い、卒業検定を3回も受けて。

お陰様で、有休も予算も随分消費したし。

ラヂオ屋を始めとする、既得者たちの「何やってんだ」という罵声と励ましも、

随分頂いたし。

 

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本日、無事に登録完了。

年末までに卒業できたのだけれど、

年末年始を挟んじゃったから、免許センターに行けてなくて。

ああ、よかった。