24番霊場「最御崎寺」。読みは「ほつみさきじ」。

この寺が在る場所は、室戸岬。

そう、四国の向かって右下にある、日本有数のとんがり端っこである。

 

「台風は現在、室戸岬沖20km付近を北東に進んでいます」。

室戸岬と言えば、このフレーズ。

ここですよと指し示す矢印のようなとんがり具合は、

ただ単に台風がよく通るということ以上に、

アイコン的な分かりやすさを提供している、と思う。

 

今までにも、端っこの魅力は語ってきたけれど、

室戸岬は是非到達したいと思うに相応しい端っこだ。

だがしかし。

先の記事でも述べた通り、安易には到達できないのである。

ロープウェイやらダムやらがあるような山を下りて、四国の4時方向の海岸に出たら、

後は四国の輪郭をなぞるような海岸線の一般道をひたすら走るしかない。

 

「おい。この海岸線の気持ちいい道路はどこまで続くんだ?」

「大体70kmはあるんじゃね?」

「てことは、時速70kmで1時間はかかるってことだな」

「正解。」

「ということは、時速35kmで走ったら2時間だな」

「さすが理系」

「今、このクルマの時速は何kmだ」

「40kmかなぁ。あ、カーブになったら40km切っちゃうね」

「…。」

「前の軽トラックは地元のお年寄りかなぁ。とっても安全運転」

「…。」

「…。」

「ふざけるな!このままじゃいつまで経っても着きゃしねぇだろ!」

「黙れ!俺だって抜きたくて仕方ねぇんだよ!」

「だったら、さっさと抜けよ!」

「馬鹿野郎!こんなに登ったり下ったり曲がったりの対向一車線で早々追い越せるか!」

「次の下りはチャンス…だぁ!対向車かよ!」

「否、その後にもチャンスがある!」

「…ゴー!」

「イエッサー!」

「やった!やっと抜いた!」

「これで少しは速度が上げられ…」

「…パステルカラーの軽、登場」

「地元の奥様かなぁ。子供でも乗せてんだろうね。とっても安全運転」

さすが四国。修行の場である。

 

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ようやく辿り着いた端っこ。

大地創造を語る奇岩群はジオパークに。

 

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海岸をしばらく歩いて現れる看板。

これがないと室戸岬かどうか分かりゃしない。

 

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看板の場所は先っちょじゃねぇなと思い、

この辺かと目星を付けて室戸岬先端に立つ。

 

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室戸岬から太平洋を見つめる「中岡慎太郎」像。

坂本龍馬と共に幕末を駆け抜け、近江屋で散った土佐の志士。

薩長同盟は彼の奔走なくしては結実し得なかった。

 

 

最御崎寺は、室戸岬の断崖の上、またしても山の頂上に。

なので、慎太郎越しに山を仰ぎ、合掌する。

なぜなら、すでに陽は傾き始め、我々の宿泊先は高知市だったから。

今度は室戸岬の逆三角形の左側の輪郭をなぞって、また80kmほど走らねばならない。

 

「だから室戸岬は捨てろと言ったんだ!」

「四国に来て、室戸岬は外せないだろ!」

「端っこ端っこって馬鹿じゃないのか!青森で懲りろよ!」

「てめぇが馬鹿だ!ダムがダムがって騒ぎやがって!」

「宿の夕飯には間に合うんだろうな?」

「法定速度で均一に走れれば余裕で間に合う」

「…ああ、軽トラックが…」

「…その前にはパステルさんもいるな…」

「…夕飯、食べられるかな」

「…いい宿だから多少遅れても大丈夫だと思う」

「…空海は奇跡を起こしてくれるんだよな」

「…ああ。2ヵ所しか参ってないけど」

「…賽銭は投げた」

「…信心が肝要だ。大丈夫、空海はやってくれる」

 

陽が沈み行く土佐湾は美しく、悟りの境地に。

完全に方向違いなのは言うまでもないけれど。

 

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何とか辿り着いた宿は、すっかり夕闇の中。

 

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純和風旅館。

大急ぎで荷を下ろし、白衣を脱ぐ。

なぜなら、最終の食事時間にすれば先に入浴できると分かったから。

 

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和食懐石コース。美味しゅうございました。

 

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やはり土佐に来たら叩いとくでしょ。塩で食べるのが洒落てるらしい。

が、僕はポン酢で頂きました。

 

 

早朝出発から、およそ500kmの道程を経て、初日終了。

高知の夜の繁華街に繰り出すことなく、布団に寝転がったら即死。

隣で無呼吸症候群対策マシンを装着して、

ダースベイダーみたいな寝息になってる奴など気にすることなく、

夜は更けていった。

南無。