少しクルマを走らせる。
山の中へと続く峠道は、周囲に茂る鮮やかな緑が落とす影と、
その間を抜けて突き刺す真夏日の陽光が、まだらになって通り過ぎてゆく。
本当は銀行や郵便局へ行くためにクルマを出した。
けれど何となく、何となく、違う所へ走らせた。
スマートフォンのハードディスクから流れるポップミュージック。
遠ざかる人の住む街。
けれど僕は臆病で、これ以上進むと後が面倒だと、峠のパーキングで停まった。
じりつく太陽はエンジンを止めた瞬間から襲ってくる。
躊躇いながら外へ出れば、暑さと共に静けさの洗礼を受ける。
空を見上げれば、タイムラプスのように流れる雲が山頂を越えていく。
山は、こんなに静かで、こんなに鮮やかなビリジアンだっただろうか。
こんなに空が近かっただろうか。
田舎に暮らしているはずなのに、とても自然が眩しく見える。
色や大気への感嘆は、大抵、刹那に終わる。
けれど、もう一つ要素が加わると、それは持続する。
音だ。
すぐそばの青葉茂る桜の木から、にわかに鶯の声が響いた。
澄んだ笛の音のように、伸びやかに、柔らかく、山間に響き渡る。
先程感じた無音よりも、静寂が染み渡る。
遠のいてゆく音に、空間や色彩が呼応する。
姿なき声の主は、求愛に夢中なのか、何度も鳴いてくれた。
聞き入っている間、刻が流れる。
静かに、軽やかに、刻々と。
滞在時間は、一本の煙草を燻らせるだけ。
けれど、あれほど忙しなく過ぎると感じていた時間は、
少しだけ、ゆっくりと進むようになった。
僕は、さて銀行と郵便局、後は買い物かと、峠を下った。