携帯電話が振動し、目が覚める。

停止の表示に触れると、メロディーと振動は消えた。

ぼんやりと日時を確認して、再び目を閉じる。

今日は日曜日だ。

 

次に目が覚めたのは、4時間余りが過ぎた頃だった。

特に目覚ましを再セットした訳ではなく、自然に目覚めた。

歳を重ねると眠り続けられないと、どこかで聞いた。

ああ確かに、二度寝で自然に午前中に目が覚めるなんて、俺も大人になったもんだ。

と思ったのも束の間、昨日の夜は21時くらいに寝落ちしていて、

日付が変わった頃にしばらく動いたけれど、その後ベッドに移動して眠ったのだから、

通算で12時間近く眠ったことになる。

ああやっぱり、俺は大人になれないんだなと、落胆のうちに体を起こした。

 

 

ぼうと煙草を吹かしながら、ぼうとTVを眺める。

知った所で自分の人生に何の変化ももたらさない情報を、

なぜか面白可笑しく、さも役に立つ情報だと錯誤しながら、へらへら過ごす。

この状態を「恐るべき日曜日のパルプンテ」と僕は呼んでいる。

この魔術に、過去幾度となく混乱し、どれだけ無駄な時間を費やしてきたことか。

24時間の半分を眠りこけ、さらに4分の1をパルプンテ状態で過ごす。

そりゃあ俺は大人になれなくて当然だ。

他人の活動時間と己の休息時間があべこべなのだから。

生きる価値というが、そもそも死んだも同然で動いていない時間が長いような奴に、

大した価値は付きそうにもない。

 

 

諦めながらも悔しいので、動くことにした。

髪を撫でつけて、髭を剃る。

顔を洗おうと手水に手をつけたら、その冷たさに震え上がった。

やはりもう一度毛布に潜り込もうかと思うに足る冷たさだった。

しかし、その冷たさゆえ、俺は出かけなければならぬのだと、余力を振り絞る。

分不相応なクルマの買い替えなんて事をやらかしたために、

冬用のタイヤを新調しなければならぬ。

旨そうだと思う牛肉よりも、赤札の付いた牛肉のパックを選ぶようなケチな輩が、

喰えもしないゴムの塊に大枚を叩かねばならぬ心痛はなかなかのものだ。

よりにもよって、生きる価値の低さを自覚した朝に、

生命の安全確保のための高価なゴム製品を買いに出かけようというのだから、

馬鹿馬鹿しさと心痛はさらに増したのだけれど、

価値が低いがゆえ、価値が高い者を轢き殺す訳にはいかぬと、

物は言いようで自分に説得を試み、何とか靴を履くに至った。

 

 

せっかく人前に出るための整装をしたのだから、用事はなるだけ多く済ませたい。

2シーズン目に入り、伸びて薄くなった履き心地の悪い靴下を新調したり、

夜中に貪るためのジャンキーな保存食を確保したり、したい。

ついでにようよう腹も減ってきたから、昼食も済ませよう。

ならば、ああ行ってこう行ってと、足りない頭で最適と思われるルートとレジュメを組み、

聡明で快活な日曜日の買い出しプランを実行に移した。

 

 

くそぅ。何故こんなに人がいる。

気が向けば足しげく通い、スタンプカードをちまちまと集めている田舎のラーメン屋は、

いつも扉を開けばダイレクトにカウンターに着いて、

即刻「麺硬め、ネギ多め」と告げる手筈となっているにも拘らず、

今日に限っては「並んでお待ちください」と言われた。

否、以前にも同じ目に合っている。

日曜日だ。日曜日の昼時だ。

己の学習能力の低さに加え、先に昼食を確保しようとした計画性の甘さが、

寒風の中、ひもじさに耐えるという現代日本において絶滅したはずの苦痛を呼んだ。

何と愚かなんだ俺はと、何度も胸の内で己に懺悔の鞭を打ち、

打ちひしがれて膝を折ろうと思った寸前で、「次の方、どうぞ」と呼ばれ、席に着いた。

 

カウンターに座っていた4人組が食べ終え、

前に並んでいた3人組に続いて席に着いたため、己の発注は自ずとその3人の後になる。

先述の通り、自分の台詞は店に入る前から決定しており、

満漢全席を頼もうという訳ではないから、発注後はすぐさま「へいお待ち」となるはずだった。

ところが、そうならないのである。

まず、店員が注文取りに来ないのである。

席が埋まっており、さらに先に入ったであろう客の注文をまだ取っている。

しかも幼児から爺さん婆さんまでを連れた大家族のテーブル席だ。

むむぅ、その後の後かとじれったく唇を噛みつつ店内を見回すと、

忙しなく働いている店員の傍らで、ぼうと突っ立っている木偶の坊の店員がいるではないか。

すぐさまお前が来いよと睨みつけようと思ったらば、

顔の色が異なる外国人の見習い店員で、まだ指示がなければ動けないようだった。

Oh my GODと絶望の淵に立たされた心持ちでお冷をすすっていると、

「お待たせしました」と隣に声がかかった。

やっと報われる時が来た、

もうすでにスマートフォンのスマートニュースをスマートに一番下までスクロールし終える程、

僕は待ち焦がれていたのだよと、顔を上げた。

しかし、日曜日の神の試練は容易くない。

3人組が御高齢だったのである。

僕がスマートフォンのスマートニュースをスマートに読み終える時間があったにも拘らず、

「えーと、これはどんなラーメン?」とやり始めたのである。

この店に慣れてないのであろうから、致し方あるまい。

致し方あるまいが、こちらの絶望も致し方あるまい。

嗚呼、神よと嘆いている背中に、人が動き始めた。

先刻に店に入り食べ終えた客が次々とレジへと流れ始めたのだ。

すると、厨房で忙しなく調理していた店員がレジに回る。

と言うことは、発注された品が完成されず、遅延していくということだ。

むむぅ、致し方あるまい。

が、決して呪ってはならぬと理知的な己の頭脳は静止を叫んでいるのだけれども、

どうにもならない感情的な己の魂が張り裂けんばかりに叫ぶ。

そこの木偶の坊、もうちょっと仕事しろ、と。

するとどうだ。その魂が通じたのか、外国人の彼が自分の方にやって来た。

「オマタセシマシタ。ゴチュウモンハ?」。

すまない。僕は君を何にも出来ない人間だと決めつけ、低い志で罵倒していたよ。

許したまえ。麺硬め、ネギ多め。

ようやくありついたラーメンは、己の不甲斐なさが加味され、少ししょっぱかった。

 

 

くそぅ。何故こんなにクルマがいる。

ラーメン屋の駐車場から出て目的地に向かうには、右折しなければならない。

平日であれば、田舎道での右折などウインカーを出さなくても問題ないくらいに容易いのに。

日曜日。またしても日曜日だ。

ラーメン屋のある通りは、ショッピングモールや郊外型の飲食店が並び、

休みの日に買い出しと食事を済ませようという輩で渋滞を起こすことがある。

時間によるのだが、最も酷いのは昼時だ。

飢えた餓鬼と化したケチな野郎どもが、クルマの流れなどお構いなしに、

自らの欲望のままに右折しようとするからである。

痛い。胸が痛いのは何故だ。

しかし、右に行きたいのだよ。

右には本日の目的が、左には不毛の渋滞が待っているのだよ。

頼む。途切れてくれ。

するとどうだ。ラーメンを欲して左ウインカーを出したクルマと、

対抗車線に同じく欲して右ウインカーを出したクルマがお見合いしたではないか。

しかも、自分がどかなければ、2台ともラーメンにはありつけないのだ。

日曜日の神、その慈悲受け取ったと、アクセルを踏んだ。

が、次の瞬間、僕は凍り付いた。

右ウインカーを出したクルマの前に入ろうとした時、

その脇をすり抜けた後ろのクルマが、忽然と現れたのだ。

危うく、現れたクルマの横っ腹に突っ込むところだった。

肝を冷やすというのは、こういう時に実感する。

寒空の下、身も心も冷え切ってしまって、

食べたラーメンの温かさなど一瞬にしてどこかへ消えてしまった。

 

 

この分だと、何処へ行っても閉口するに違いない。

殊に、急に寒くなり、西にそびえる山の頂が今朝白くなった。

皆がこぞって冬タイヤを買いに走り出すには、持って来いの日曜日。

今日がたまたま初冠雪になっただけで、

暖かな日であったとしても僕は冬タイヤを買う予定だったのだなどと、

くだらない言い訳をしてみたところで、何も好転しそうにない。

おまけに、モチベーションも注意力も、擦り切れてしまった。

今日の大目的であったはずのゴム製品の購入は諦めよう。

日曜日でも閑散とした最寄りのスーパーに寄り、

3足980円の靴下と、特売と書かれたトイレットペーパーを手に入れて、

大人しく家路に着こう。

悔しいけれど諦めも時に肝心だ。

これ以上、己の心を己で削り取って、憂鬱を深くするのは耐え難い。

せっかくの日曜日なのだから。

 

 

 

追記。

本日、月曜日、無事に冬タイヤを購入致しました。

新車購入初年度ということで、信頼の置けるタイヤを履かせてもらいました。

見栄を張ってアルミホイールまでセットしちゃったので、

以後、コンビニに寄る回数を減らしたい所存です。