無職をいいことに、平日昼間の16時からという、
サッカー日本代表戦をTV観戦してた。
まったくもって、呑気なもんだ。

「完全アウェー」というコピーが踊る、アウェー戦。
「不完全アウェー」は、応援団が多ければいいのか?
「不完全」な方が、スポーツマンライクってこと?
・・・うーん、いまいち腑に落ちないコピーだ。

ま、そんなことはさておき、
ともかく相手は北朝鮮。会場はピョンヤン。
政治的な匂いがプンプン漂う、アジア予選。

予選としては、日本は通過が決まっている。
そして、北朝鮮は不通過が決まっている。
通常なら、「消化試合」と呼ばれるはずだ。

なのに、力が入る。
力を入れさせようと、何かが扇動する。
ずっと気を張っていない者は勇者ではない、と。
「敵国」を相手にするのならば尚更だ、と。


確かに、試合なのだから勝ちたい。勝って欲しい。
最初から「負けてこい」などとは思わない。
一かけらでもそう思ったとしたら、
自負を持って挑む、選手や監督に対して失礼だと、僕は思う。
負けるために、彼らはサッカーをやってるんじゃない。

ただし、試合である限り、
どんなに勝ちたいと思っても、
どんなに勝って欲しいと願っても、
負けるときは負ける。

試合に負けると、
「負けたのは、気合が足りないのだ」
「完全アウェーで勝ってこそ、勇者だろう」
非難の声は、必ず挙がる。
そして次には、
「完全アウェーの卑怯な国家め」
「それで勝って嬉しいのか」
相手に対する罵りの声が、必ず挙がる。

暴動の心理と、なんら変わりない。
歴史上で何度、その過ちを省みているのか。
熱を帯びることの目的を、見失ってはいけない。
スポーツは、感情の制御を教えてくれるものだと、
僕は思っている。


トルシエ、ジーコ、岡田。
弱小だった日本代表をW杯に連れて行ったにも関わらず、
「負けた」から、凄まじい非難を受けた監督たち。

僕の目には、恩を仇で返すとしか、映らなかった。
歴代の監督で、拍手の下に引継ぎなんて、
残念ながら、日本にはないようだと、悲しくなる。

ジーコにおいては、本当にどうかしてると思う。
サッカー史上のスーパースターであり、
Jリーグに参加するなんて、信じられないことだった。
AKB48が転校生で同じクラスに来る以上の衝撃だったんだよ。

彼のお陰でJリーグが存続したと言っても過言じゃない。
大の親日家で、代表監督まで引き受けてくれたにも関わらず、
彼が憤慨するほどの非難を日本中が浴びせて、彼は去った。


次への布石は、負けの中にもある。
「負けてもいいよ」と、単純な擁護をする気はない。
「負けることもある」と肩を叩き、健闘を称えることは、
単純な擁護ではないと、僕は思う。

高校野球とかだと、みんな分かるのになぁ。
「よくやった。お前たちは終わりじゃない」って。
政治?地位?お金?
僕には同じアスリートにしか見えないのになぁ。


北朝鮮には負けた。
それでも彼らの戦いは続く。
僕らの人生と同じように。

健闘を称え、彼らの成長を祈る。
そして次の試合を楽しみに、僕は待つ。
友人を信じるように。


・・・わざと倒れて起き上がらないとか、
北朝鮮の時間工作は、ちょっと汚かったけどね(笑)