日々の生活を楽しむ努力をしてるなぁとか、

色々なものを受け入れる懐があるんだろうなぁとか、

そういうものを感じられる人のブログを読ませてもらうのが、

僕は好きだ。


有名人のどうでもいい報告や、

小銭儲けを得意気に披露するお役立ち情報や、

何かしらをヒケラカシタイだけの自慢話は、

僕は好きじゃない。


「ネイルなう」も、

ごめんなさい、僕には理解できないです・・・。

友人同士のメールでやって頂きたいです・・・。


いわゆる普通の人が、普通の生活の中で、

何に出会い、何を感じたのか。

読んだ人も共感したり、考えたり、楽しんでくれたらいいなぁって、

美辞麗句じゃない思いが感じられる言葉。


街角での人間観察が「カタチあり・思いなし」だとすると、

ブログは「カタチなし・思いあり」だと、思う。

どちらも、僕の想像でしかないけれど、

「人」を感じられた時、僕は嬉しい。



素敵な奥さんなんだろうなぁと思う人のブログで、

「息子が旦那と自転車で120㎞の旅をしました」って記事を読んだ。


懐かしいなと、思った。

僕も小学3年生の時に、父と100㎞ほどの自転車の旅をしたから。



何を思って、父がやろうと言い出したのかは定かではない。

大体、父が言い出すことは突拍子もないことが多いから、

別段、驚くことではないのだけれど、

なぜ僕がそれに乗っかったのか、そっちの方が今となっては不思議だ。


新しい自転車が買ってもらえる。

ただそれだけの動機だったかな、と思う。


「変速ギアはないと、大変だからな」と、父が買ってくれた。

ハンドルとサドルをつなぐフレームの真ん中に、

クルマのシフトみたいなギアが着いてるやつ。

懐かしい。


夏休みに、母の実家へ行くのが毎年の家族行事だった。


母の実家は、100~120㎞離れたところにある。

海が近いところだから、夏休みは賑やかで、

クルマで行けば必ず渋滞に巻き込まれた。


それを、自転車で行こうというのだった。

家から母の実家までの100㎞。

父と僕が自転車で、母と姉たちはクルマでサポート。


大変だろうなと思ってた。疲れるだろうな、と。

でも、ワクワクしてた。

前の日は、うまく眠れなかったくらい、嬉しかった。


しかしながら、出発してからのことは、あまり覚えていない。

所々、スライドショーのように覚えている景色はある。

こんなハプニングがあったとか、

すごく大変だったとか、そんな思いはさすがに消えてしまった。


旅の結果は、情けないことにリタイアだった。

90㎞くらいだろうか、もう少しというところで陽が暮れたことと、

僕の体力が尽きたことから、父がタオルを投げた。


ヘトヘトだった。

悔しかったけど、ヘトヘトだった。


中継地点のドライブインで待っていた母たちと合流し、

僕と自転車はクルマに積み込まれた。

母は「よくがんばったね」と慰め、笑顔で迎えてくれた。


父は、

「お前は悪くない。よくがんばった。

 もう少しアップダウンのない道を、俺が選ぶべきだった。

 すまなかった」

と言った。


僕よりも、悔しそうだった。

父が僕に謝ることが、不思議だった。


その後、父は一人で自転車で辿りついた。



クルマに乗るようになってから、

「あ、ここ通ったな」と、その時のことを思い出す。

思い出ってやつなんだろうなと、

感慨も感傷もなく、ただ、思い出していた。


それが、自分が父親になって、

「ここ、前にも来たよね」って子供が言った時、

「そうそう」って答えながら、

嬉しさと共に、これかと思った。



大切な人の記憶の中に、自分と共に過ごしたことが残る、喜び。

自分が伝えたいと行ったことが、ちゃんと記憶に残っていく、喜び。



父も、そんなだったろうかと、今になって想像する。

何かを達成する喜びを、伝えたかったんだろうな、と。

良き思い出が、良き人生の糧になることを伝えたかったんだろうな、と。



僕は、塾や習い事は嫌いだと言って、子供にさせなかった。

自分が嫌いだというだけで、子供の将来を考えていないと、

元妻に溜息をつかれていた。

子供と遊んでばかりで、少しは為になることや世話をしたら、と。


僕には、僕の伝えたいことがある。

あの時の父の言葉や姿を、今の僕が忘れないように、

子供に伝えたいことが、まだたくさん、ある。



子供だけでなく、

友人や家族、大切にしたい誰かと、

人生を楽しむことを共有したいと、願ってる。