職場の玄関前には、巨大なサボテンがある。

最も高いところは2mを越えるようなサボテン。


漫画に出てくるような、ハニワのような円筒型のサボテンではない。

厚ぼったいラケットのような葉が、連なって伸びているサボテン。


そのサボテンは、春先に花を咲かせる。

ラケットの先端に、小さな膨らみが生まれ、黄色い花が咲く。


僕は、この花がとても好きだ。

トゲで武装した巨人には似つかわしくない、可愛らしい花。

思わず「ほんの~小さな出来事に~」と歌ってしまうくらい、

可愛らしく、穏やかな、黄色い花だ。


花が咲き終わると、花を咲かせた膨らみが葉として成長する。

・・・葉なのか茎なのかは、この際問わないこととするが。


今年は、たくさん花が咲いた。

ここ数年、楽しみに眺めているのだが、今年は多かった。

毎年一つか二つなのに、20個くらいは咲いたと思う。


たくさん咲いてくれるのはいいのだけれど、

それが全部、葉になってしまうと、いけない。

頭が重くなり過ぎて、途中から折れてしまうからだ。

今年の正月には雪が積もって、折れてしまったのもあったくらいだから。



今日、そのサボテンを剪定した。


基本は、花をつけた後のタマゴ様の膨らみを落としていく。

後は枝ぶりを見ながら、軽くしていくのだが、

モノがモノだけに、現代アートのオブジェを仕上げているかのよう。

数年後のカタチを想像しながらの剪定は、非常に面白かった。


剪定した後は、もちろん片付けなければならない。

落ちたサボテンを拾い集める。


樹齢のせいなのか、トゲはまばらにしか生えておらず、

持てそうなところを掴めば、まったく問題ない。

・・・と思っていた。


事実、大きく成長した葉は、トゲの箇所がよく分かるし、トゲが少ない。

だから、問題なく掴んで拾える。

ただし、新しい葉になればなるほど、トゲがしっかりと生えていて、

密集率が高いから、掴みどころを考えなければならない。


タマゴ。

僕の大好きな花を咲かせた、最も新しい葉。


愛おしさと、案外根元の部分はトゲがないのを見て、

僕は警戒心を緩めて、拾い上げようとした。



指先に、細く鋭い痛みが走った。


死に至るような痛みではない。

飛び上がるような痛みでもない。

しかし、咄嗟に手がすくむ、確実な痛み。


手袋を取り、痛む指先に目を凝らす。

極細のトゲが数本刺さっているのが見えた。


爪で、そっと引っこ抜く。

抜ける瞬間にチクリと痛むが、

これでもう痛みはなくなるという安堵感にほっと息をつく。


抜けたことを確認するために、指先をこすり合わせる。

痛みはない。

どうやら無事に、トゲを抜ききったようだ。


さあ、続きをするぞと、再び手袋をはめる。

するとまた、指先がチクリと痛む。


くそぅ、手袋に残ってやがったかと、

もう一度、手袋を取り、指先に目を凝らす。

何も見えない。


ええぃ、手袋の方かと、手袋をはたく。

ひっくり返して、手袋にも目を凝らす。

何もない。


よぅしと、再び手袋をはめる。

するとまたまた、指先がチクリと痛むのだ。


そんなことを3度やってみたが、何も見えないので、

結局、チクリチクリと痛むのを堪えながら、

最後まで作業することになった。



今も、僕の指先は何かに触れる度に、チクリと痛む。

あんなに愛しい花をつけていたサボテンのトゲ。


見えそうで、見えない、痛み。

消えている時もあるのに、触れると現れる、痛み。

死に至ることはないけれど、怯えを招く、痛み。


「心にトゲが刺さる」とは、よく言ったものだ。



まだ眠れない夜がある。

細く鋭い痛みが、心に走る。

ただ、収まるのをじっとやり過ごすしかないのかと溜息をつく。


けれど今、指先を撫でながら、自分に言い聞かせる。


痛みを怯えてはいけない。

溜息をつくのではなく、深呼吸をしなさい。

いつかきっと、トゲは消えるから。