僕の家のすぐ近くの川には、この季節、ホタルが飛ぶ。

はかない光がゆらゆらと、幾筋も川面に漂う光景は、息を呑むほど美しい。


僕は、随分と長い間、ホタルなんて興味がなかった。

都会の暮らしに憧れ、ウチの周りには「何もない」と思っていた。

関心がなければ、ホタルが当たり前に飛んでいる田舎は「何もない」のだ。


僕が物心がついた頃はまだ、

エコだとか環境問題だとかはマイナーな話題だった。

自然はまさしく自然であり、崇めるものでもなんでもなかった。


ホタルに再び関心を持つようになったのは、子育てをするようになってから。

知識的にも自然環境のことを考えるようになり、子供を田舎で育てられる幸せを語る上で、

ホタル観賞は、我が家の初夏の象徴的な行事となった。


まわりくどい言い方をしたのは、それでもなお、僕の関心が軽薄だったから。

爺さんが熱心に孫を誘い、夕食後にホタル観賞に連れ出すのを、

仕事に疲れた僕は、「行ってらっしゃい」と見送ることが多かった。

心のない知識に、真の美しさは見えていなかった。


今年は、一人で見に行った。


近くに住む友人が、子供と見ることを毎年楽しみにしていて、

「今年はもう飛んでいるだろうか?」とメールをくれた。

そのメールが届くまで、僕はホタルのことをすっかり忘れていた。

もう、そんな季節なんだなと、慌てて外に出た。


ホタルは、美しかった。


真の美しさかどうかは分からない。

それを理解できるほど、自分が成熟したとは思わない。

ただただ、子供たちに見せてあげたいと、心から思った。


幼い頃、家の庭に迷子のホタルが飛んでいたことを思い出す。

母が切ってくれたスイカを、父と姉と共に食べながら、種を飛ばした先にゆらめく光。

幸せだったからこそ、その美しさは今も、記憶の中で輝き続けている。