2024年2月9日(金)ANAクラ
ウンプラザホテル松山で愛媛県中小企業家同友会主催による第12回経営フォーラムが開催され、
基調講演は北海道中小企業家同友会の会員でもある株式会社植松電機 代表取締役植松努さんだった。
私は2019年に壺中100年の会で植松電機さんを訪問したこともあり、その時は恐らく私のベンチマーク史上3本の指に入るくらい感動したので、愛媛への来県は大変楽しみにしていた。
お話の内容は大筋では前回とは変わらなかったが、新たに考えさせられたこと、気付きなどもあり、忘れないうちに書き記しておこうと思う。

植松電機の主たる事業は、リサイクル用マグネット事業だがこれは日本のシェアのほぼ100パーセントを占 めている。
その他にもドラマ化された人気小説「下町ロケット」のモデルとも言われたロケット開発事業などが有名だが、子どもたちの教育活動にも熱心に取り組み、今回のような講演依頼もこなしている。

事業活動においても「対抗不能性」こそ重要だと植松社長は説く。
常識的には仕事とは競争だと考えられているが、そもそも競争にすらならない状態を作り出すことが、もっとも効率的だということ。
似たような言葉に「相手と同じ土俵に乗るな」というものがある。
売れそうなものならきっと誰かが既にやっているし、儲かりそうなものなら激しい競争になっているはず。
人口増大の時代なら、同じもの似たものを作り出すことで、儲けることが出来た。
植松社長は、儲けるか否かではなく、世の中の「悲しさ」「苦しさ」「不便さ」などを解消することに力を注いでいるという。
ロケットの研究開発は採算性は凄く悪いが、そこで得た知識や技術が、医療機器やトンネル掘削、南極探検用のソリの開発など様々な分野に応用されている。
これからは人口が減っていく時代になると、ますますモノが売れなくなるが、世の中の問題を解決できるものなら、きっと必要とする人がいるはずだし、そこに新しいパイが生じるはずだと言う。
植松電機も、競争を離れることによって、「値切る人に売らない、納期を待てない人に売らない」ことにして、利益を確保でき、在庫は無くなり、自由な時間が増えたということである。

植松社長の話は、今の日本において従来のやり方をなぜ、あらためなければならないのかを歴史的な視点で解説する。
日本において爆発的な人口増大が起きたのは、明治維新以降である。
その時、様々な制度が諸外国から導入された。
教育においてもしかりで、基本的には軍隊の仕組みであり、
これは民主主義の正反対で、派閥、縦割り、自分の在任中に問題が起きなければいいという先送り主義を生み出した。
「命令と上下関係なしで言うことを聞く奴はいない!」という人もいるが、植松電機にあるのは「相談とお願いと感謝」であるそうだ。
今の学校は「がまん」を学ぶ場所だ。
いつから「がまん」が美徳になったのか。
戦争中は命令通り動く人間が必要だった、高度成長時代も戦争中と基本同じであった。
驚くなかれこれが150年間続き、それが常識と思い込むようになった。
これからは、「素直・まじめ・勤勉」だけではロボットに負ける、暗記の量と正確さで勝負してもロボットに負ける、
日本の受験制度はロボットに負ける人を作ってしまう。
しかし、時代の変わり目ほどかえって人は古い価値観にすがってしまうものだ。
今の学生と親は昔以上に高偏差値の大学と大企業を目指している。
韓国・中国は日本の詰め込み教育を真似て発展してきたが、
中国は2021年に「宿題、学習塾禁止令」が発令された。
日本は取り残されていくのでは、と植松社長は危惧している。

植松社長の事業や教育活動にかける思いの根底には、小さい頃の原体験にある。
植松社長の小学4年生まで、落ち着きのない子供でいつも忘れ物をして、服の前後ろを逆さにして着ていたような、
勉強も体育も全くダメな生徒で、先生に暴言を吐かれ体罰をくらっていた。
今でいうアスペルガーのような生徒だった。
しかし、本を読むことは好きで飛行機やロケットの模型を作ったりするのは楽しかった。
中学になると同級生は皆受験勉強に精を出し、そうでないものは部活動に熱中する。
植松社長も将来は飛行機やロケットを作る仕事に携わりたいと将来の希望を述べたところ、
先生は「そんな仕事は東大にでも行ける人間がすることだ。くだらないことを考えないでもっと勉強しろ」とこのようにおっしゃった。
しかし、「ライト兄弟は東大へ行ったのか?」そんな疑問を抱いた植松社長は、受験勉強は大してせず、好きなことに没頭し、
あまり偏差値の高い大学へは入れなかったが、入った大学で専攻した流体力学は今までの自分の趣味でしてきた勉強とほぼ一致していたから、苦も無く授業についていけ教授にも可愛がられて、卒業後は飛行機の設計を手掛ける会社に就職できたという。

「どーせむり」と言う言葉は自信と可能性を奪う最悪な言葉だと植松社長は言う。
誰しも自信がないと不安になる、人からどう思われるか・・・どう見られるか・・・
大人は競争させて自信を持たせようとする、
しかし、それは本当の自信ではない、くらべる自信だ。
比べる自信は優越感であり、もっと自信を失う
「いかに他人より上手にできるか、他人より点数がとれるか」
「競争、勝負、弱肉強食」
くらべる自信がいじめを生み出す。
「同じ」と「普通」は競争になる。
夢や努力の邪魔する。
「かっこつけるな」「なにそれ自慢?」「できるわけない」
「ちがう」ことこそ必要とされるのに。
子どもがそのような状態にあっても、かける言葉は、
「がまんしなさい、社会に出たら当たり前、気にするんじゃない」
子どもはあきらめたりやめたりして問題を解決しようとする。
「自分が我慢すればいいんだ」
おかげで日本の若者の自殺率は世界一だ。

(ここからは講演の中ではなく、ネットで調べて分かったことではあるが)
2004年ごろ、植松社長の小学3年の娘さんのクラスがいじめで学級崩壊、PTA会長だった植松社長は子供たちの様子を見て、「みんな自信がなさそうだ」
と感じ、学校でロケット教室を開催することにした。ペーパーロケットを飛ばすことで、
「子どもたちの自信を増すことができるのではないか」と思ったからだ。
「ペーパーロケットとはいえ、時速200キロメートル超のスピードで上昇し、高度100メートルにまで到達するロケットを用意しました。僕が試しに飛ばして見せると、子どもたちは『自分が作ったロケットは、どうせ飛ぶわけがない』なんて言う。
でも、自分で発射ボタンを押すと、ちゃんと飛ぶ。
みんな大喜びですよ。ダメかもしれないと思い込み、不安を募らせたうえでの成功って、きっと自信につながるのです。ロケットは実にうまくそれを伝えてくれる教材だと感じました。」
その後いじめがなくなり、手ごたえを感じた植松社長は、ロケット教室の開催に注力し始める。
初めのうちこそ学校の理解が得られず苦労をしたが、今では年間1万2千人の子供たちが修学旅行で会社を訪れるようになった。

今回の講演で学んですぐ実行できること。
1.自分の夢はどんどんしゃべろう。
やりたいことは、やったことがある人と仲良くなればできる。
わかってくれる人に出会えるまでしゃべり続けようということ。
私のようにある程度年を取って面の皮が厚くなった人間なら、
少々笑われても馬鹿にされても耐えていけるが、ガラスのような繊細な若い世代は少し辛いかもしれない。
でも、そんな時に言ってあげたい。
「テストの点数や他人の評価なんかで人生をあきらめないで」
「学校を辞めたエジソンは発明王になったではないか」
2.子供が夢や進路に迷ったときのアドバイスに、
「あなたの好きにしていいんだよ」
これはアドバイスにはならない。
本当のアドバイスは情報を増やすことだ。
(無論、憶測の否定や禁止はアドバイスではない)
「私はこう考えたよ。本物を見に行こう」
これが理想的である。

植松社長は2019年に出会った時と同じく会社の作業着を着て登壇し、講演が終わると大きなリュックを背負ってそそくさと帰っていった。
飾り気のない親しみやすい人柄はそのままであった。
(最も私のような人間が普段着でこのような会に出ても、「郷紳は徳の賊なり」で様にならないだろう)
植松社長は最後に「国に任せていても古い人材がつくられるだけ。
企業が真剣に人材育成や教育に取り組む必要がある」と言った。
このメッセージは講演が終わった後、参加者の多くが興奮気味に語っていたことから、確かに伝わったはずだ。
ある人は社内の研修や教育や評価について一石を投じただろうし、
経営者でない方にも子供たちの教育のためにロケットを打ち上げてみようかとか、
夏休みに子供たちを連れて植松電機に見学しに行こうかと思いついたかもしれない。
何より日本の100年以上続いている成功体験としての社会のシステムについて懐疑心を持ちながらも、
どのようにしていいか分からなかった人たちに、回答のヒントは提示できたはずである。
私自身については、仕事柄国の進める「働き方改革」は、日本人の労働生産性はヨーロッパ諸国の半分という現状からいいことではあるが、どこか変なのではないかと思っていたのだが、その理由が日本の社会諸制度の根本の考え方が変わらないと改良にはならないと分かったことは大きな気づきであった。
植松電機の給与体系も極めて曖昧でベーシックインカムの考え方で家族構成と資質で決める、昇給も毎年全員昇給というのは、年功制ということだろう。伊那食品工業と似ている。
これも参考になった。

講演の後は参加者それぞれが4か所に分かれ分科会へと散っていった。
分科会の模様はまた機会をあらためて報告することとする。#