7月20日の石坂産業のレポートの続き。
私は産廃処理業と階級、差別などについて少し考えてみた。
いつの世でもこういう仕事は人間が生きていくうえで必要不可欠な仕事に関わらず、
インドのカースト制度でも一番最下層な仕事とされているように、世界の何処でも不当に扱われてきた。
しかし、一種の階級意識は長年人間の意識に染みつくと、それに抗おうとせずそこに留まろうとする者も出てくる。
確か以前いまだに階級が残るイギリスでは下層階級の人間は、決して上流階級へ成り上がったりせず、
下層階級の文化に誇りと、お上品に取り澄ました上流階級に対する対抗意識のようなものを持っていると聞いた。
そこにはサッチャー政権以前の「ゆりかごから墓場まで」といった高福祉政策が影響してせいはあるだろうが。
ここからは私の全くの想像になるのだが、石坂社長に反抗して会社を辞めた多くの社員たちは、意識が低いとか怠け者とかそういった人たちではなかったのだと思う。
石坂社長が嫌ったくわえたばこや立ションが当たり前、休憩室には弁当の空容器やエロ本が散乱している状態、
猥雑で不潔でしかし偽善的でない荒々しい男性的な社会、
いかに社会が自分たちを見下げようとも、こんな仕事をしている者たちがいなければ世の中が回らず、仕事そのものも技術と経験がなければ成しえないものだという自負、
このような風土・文化を肯定する人たちは少なからずいて、彼らにとって石坂社長の改革など、
「金の苦労もしたことのないお嬢さんに俺たちのことが分かってたまるか」
という心境だっただろう。
しかし、彼らが好ましく思っている文化や価値観は、世間から見ればだらしない、日陰者としか映らない、
何より屈折しどう取り繕っても負い目のようなものを消せないので、多くの人の賛同を得ることは難しい。
石坂社長はそのあたりは意識してなかったかもしれないが、
インドのような超階級社会はもちろん、ヨーロッパのような古い歴史を持つ伝統社会、
アメリカのような貧富の差が激しい格差社会とは違って、
日本は戦後建前とはいえ、華族は廃止され新平民は解放され、財閥は解体された。
みんなが中流になれ誰もが等しく人間としての尊厳を受けることができる日本で、
「なぜ、こんな立派な仕事をしている自分たちが不当な扱いを受け、地域から追い出されなければならないのか」
石坂社長の改革の意気は、私など実に清々しく感じられる。
それは戦後日本社会の価値観をどストレートに体現していったものだから。
そして今まで隠花性植物のような目立たない存在であった産廃業を、
「地下から掘り出す資源を使いつくすような社会」ではなく、
「地表に積み上げられているゴミをリサイクル」して産廃会社の世の中からの見え方を、
「資源供給会社」あるいは「エネルギー供給会社」に変えて、地球環境に負荷をかけず十分に豊かな暮らしを築けるための仕組みづくりの
先陣を切っている現在の石坂社長の取り組みを「革命的」と言わずして他に何と言おうか。
それと石坂社長の取り組みの優れた点は、「本質的な解決」を見据えている点だ。
焼却炉の反対運動が起こった時、場所を移転して同じことをするという方法もあった。
しかし、この地域から石坂産業という産廃業者が1社消えたところで、
どこかで誰かが、この仕事を肩代わりしなくてはならず、それに合わせて、迷惑に感じる地域住民も入れ替わるだけのことだ。
だから焼却炉を廃炉にするだけではなく、「減量化プラントの増強」を行った。
その他にも地域に愛される活動の一環として近所の道路の清掃をしていた。
日曜日には大勢の社員と一緒にゴミ拾いに汗を流したが、月曜の朝になるとすでに新しいゴミが道路に散乱していた。
それは元々汚れているところには、汚いものが集まりやすい。
会社周辺のくぬぎ山地区には、道路沿いにうっそうとした雑木林が侵食していて、そういう場所には皆持て余したごみを気楽に捨てるのだ。
つまりこの雑木林を何とかしないと未来永劫、ごみの不法投棄地のままだと。
それでこの地区の歴史を調べてみると、この地区の雑木林は本来、自然林ではないこと。
江戸時代の川越藩主、柳沢吉保が元々水源の確保に苦労していた農民にクヌギやコナラなどの落葉樹を植え、水を得られやすくし、
落葉樹だから落ち葉がたい肥となり、農作物と森林を育てる、循環型農業が「里山」が成立していたのが、近代になるにつれ里山が破壊され、不法投棄の温床となっていった。
それではということで、雑木林の落ち葉を掃き、下草を刈る。常緑樹などは根っこから引っこ抜く。木こりのような仕事を始めた。
近隣の地主さんを回って「森林をボランティアで手入れさせてもらいます」と申し出ると、都心に子供たちが移住している人が多かったので、大いに歓迎された。
こうして里山の風景を復活させた森林をどんどん広げ、地元での石坂産業の評判は俄然よくなった。
2012年には生物多様性を保全、回復する取り組みを評価する「JHEP」で最高ランクの「AAA」を獲得することができた。
ちょっとした思い付きだけでは、大きな共感は得られない。
しかし、小さなアイディアからスタートして地域の歴史を学び、世界の問題意識と照らし合わせていくと大きな成果に結びついた。
何事にも、単なる自己満足に終わらせず、物事の本質を掴もうとする石坂社長の姿勢は、私も大いに共感するところだ。
石坂社長の講演&若手社員の発表と見学参加者との質疑応答が終わった後、
懇親会へと移っていったが、何せ80人もの参加者と一人一人石坂社長が名刺交換するだけでも1時間以上かかっていたが、
1人1人に丁寧に気さくに応対されていた。
こちらに来る前の石坂社長は、男勝りの気と押しの強い人といったイメージを私は抱いていたが、
今日この場に来た人たちは、経営者や経営コンサルタント、組織の管理職といった方々であろうと思われるが、
少なからぬ人たちが課題や悩みを抱えているはずで、そんな人たち個々に温かい言葉をかけているように見え、
女性らしい、優しさ、母性といったものを感じた。
(最も時と場合によっては、男性社員にべらんめえ口調で𠮟りつけることもあるそうだが)
懇親会は料理もお酒も美味しかったが、何よりお世話してくれた社員の皆さんのホスピタリティが素晴らしく、
産廃会社というより接客業の応対といった方が良かった。
最も応対にあたってくれた女性社員は、植物の研究や里山の工房でパンを焼いていたりと、
もはや産廃業と言うより、文字通り環境企業なのだから、当然なのかもしれない。
今回の訪問で私はすっかり、石坂社長と石坂産業とその社員さんたちのファンになった。
会社のファンづくりは、会社のイメージつくりとも言え、これは伊那食品工業の塚越会長も大切にしていたことだ。
また、機会があればこの地を訪れてみたい。
この日は限られた情報しか持たずに訪問したので、単なるお客さんに過ぎなかったが、
次回は色々と質問を携えて行きたいものだと思った。