こんにちは。
ある年配の奥様のご相談を受けました。
旦那の好きなものを作ったり、暑い日にタオルを冷やして置いたり、いろいろやってあげてるのに一切反応がないのが嫌なんです。
喜んでもくれないし、感謝の言葉もないんです。
だからといって自分を嫌がっているわけじゃないのも分かるから、複雑な気持ちになる・・・。
与えるって難しいな、と思います。
与える、の定義は「相手のためにしてあげること」ですが、
与えるときに、見返りを期待したら苦しいし、
与えるときに、私の喜びがなければ苦しい。
だから与えるとは、
「相手のためにしてあげることで、
かつ自分もうれしく、
そして見返りを求めないこと」と定義しています。
相手が喜んでくれようがくれまいが、
自分がそれをしてあげていること自体に
喜びがあることを「与える」というんじゃないかと思っています。
・・・と口で言うのは簡単ですが、日常生活でそれを体験するのはなかなか厳しいものがあります。
でもね、子どもにはそれ、許せるんですよね。
例えば・・
ハンバーグを食べたいと言ったから夕飯に作ったのに、友達と出かけたまま帰ってこない。
お腹空いたというから急いでご飯作ったら、ゲームに夢中になっちゃって部屋から出てこない。
でも、「もう~何よ!!」といいながらも許してしまいます。
子供には見返りを求めないからです。
与えられること自体に喜びを感じるからです。
でも、パートナーや他人には「期待」が出ます。
特に身近な人には期待が強く出ます。
愛することも大事だけど、愛されたいと思っちゃうから。
あれしてほしい、これしてほしい、
分かって欲しい、受け入れてほしい、
話を聞いてほしい・・・。
だから、「与える」ではなく「取引」になってしまうのです。
「取引」というのは
「○○してあげるから△△してね」ということ。
これは愛ではありませんよね。
「ご飯は私が作るから、その代わり洗い物よろしくね。」
「あなたに心を込めてプレゼントしたんだから、それなりのお返しよろしくね。」
「あなたは私の夫なんだから、私の話はちゃんと聞いてね」
・・こういうことしてたら
関係性日々がに入るのも分かりますよね![]()
無償の愛って言うのは簡単だけど、
実践するのは難しいです。
見返りを求めない、ということは、
与えることだけに喜びを得られるものを指すのだから。
強さが必要ですね。
自分をしっかり持つことも必要ですね。
自分を愛していないとできませんね。
そうなると
「理解されない」
「分かってもらえない」
「受け取ってもらえない」ことへの恐怖はなくなります。
本当は、愛することは「消耗」ではないんです。
出した愛は必ず
「トキ(時)」と「カタチ(形)」を変えて、
自分に返ってきています。
これが理解できれば、
「否定される」「拒否される」「誤解される」
ことへの恐れもなくなっていくでしょう。
怖れがあると、自分に意識が向いてしまいます。
「どう喜ばせてあげようか?」よりも
「どう思われるか?」が気になるんです。
それは相手を見てるようで、実は、自分を見てますよね。
でも、本当に自分自身と繋がっていれば、
それを外部に投影するから
みんなと繋がっているような感覚がします。
だから、全然孤独なんかじゃないんです。
不思議ですが、そういう世界があるんです。
与える喜びだけを感じようという習慣をつけると、
不思議と自分自身が豊かになって、
冷たい夫のことも愛せるようになるんですね。
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