今となっては古典的な存在になったビートルズ。その昔、世界(とは言っても興味がある人たちの世界ですが)を席巻し一世風靡したグループ。今もなお名前くらい知らないと常識不足と言われてもしょうがないくらい。これまで、いろんな人がいろんな批評や分析をしてきた彼らの楽曲について、先達に対抗し自分なりの理論をぶつけようなどとはツユも思いません。でも60年超の自分の人生の至る所で、ビートルズの音楽から得た特別な影響を自ら再確認することが、ちょっと自分にとって意味あるかなと思い、書き出してみようと思います。
私が本格的にビートルズを聴き始めたのは高校時代。その頃には既にジョン・レノンは亡くなっていたので、巷ではいわゆるビートルズフィーバー(死語ですね)の風は凪いでいました。でも子どもの頃から某民放TV 局の子ども番組に彼らのヒット曲が使われていたりして「どこかで聴いたことのある歌」として、無意識に刷り込まれていたため、聴く曲の多くに何か懐かしさを感じる不思議さを感じていました。
高度成長期の恩恵など、ほぼほぼ及ばない田舎の自宅にはステレオなどというものはありませんでしたから、レコードを買うような習慣も当然ありません。ビートルズには時々ラジオから流れてくる偶然しか、触れる機会はありませんでした。また当時高校球児でしたから日々白球を追いかけて(いや追いたてられていたかな)ばかりで、音楽にのめり込むような気持ちにもなりようもありませんでした。最後の夏の大会が終わってしばらくしてからのある日、吹奏楽をやっていた友人が1本のカセットテープ(ノーマル90分)を私にくれました。それが友人A君の「マイベスト ビートルズ」だったのです。もうそのテープはなくしてしまったので正確なリストは思い出せませんが、今考えれば有名なヒット曲をリリース順に並べたもの、という感じだったような。でもそれがその後の私の人生を少しずつ変えてくれたのかもしれないのです。
A君は『Let It Be』の歌詞を、手書きで写して私にくれました。ネット検索どころか、コピー機さえろくに普及してなかった頃です。彼の熱意に感化され、私は歌詞を覚えようと今なら考えられないくらい集中して繰り返し聴きながら歌う練習をしました。他の曲も、自分で聴き取ろうとしてノートに意味不明の英単語を書き殴っていました。決して得意ではないものの英語に親しみを覚えることができたのは、やはりビートルズとA君のおかげでした。
1年浪人してなんとか大学生になり、東京での一人暮らしが始まりました。相変わらず身にしみた貧乏生活で、ラジカセと十数本のカセットテープ、あと時折購入する当時300円くらいの文庫本が、日々の暮らしの友でした。浪人してた時にFMラジオでやっていたビートルズ特集をエアチェック(録音)していたため、曲のストックが多少増えてはいました。
増えたのはそれだけではありません。今も思い出せる甘く苦しい思い出もできました。浪人の身でありながら、予備校で一人の女子学生(女子予備校生)に恋をしてしまい、当然実を結ぶことはない結末後の自分の心を慰めるために、何度も、時には涙目になりながら聴いていた『Something』。大学1年の「夜の半分」はその思いを自分なりに乗り越えるために使ったと言えます。その女の子が赤い洋服を着ていたときの『Yes It Is』、住んでいる所も分からなかったのに『No Reply』『You Won't See Me』で悲しい妄想、心のセンチメンタルジャーニーをしたり、枚挙にいとまがないくらい、あんな歌こんな歌で恋を乗り越えてきたんだなと感じます。
そのさなかに『Blackbird』を弾き語りできたらモテるかなと思って、親戚からもらったMorrisギターで一日中周囲の迷惑も考えず、つまづきながら爪弾いてました。とんと上達しませんでしたが、その雰囲気が伝わったのか、バンドをやっていた大学の友人に、おまけのギターみたいなポジションで参加させられ、ただ皆で合わせて楽しむ程度でしたが、「バンドやってる感」を味わわせてもらいました。「イカ天」という番組全盛の頃の話です。ビートルズの歌を知ってるというだけで、バンドでギターを担当していた友人Bに気に入られ、2人で酒を飲んでは語らい、時に歌ったりしました。住んでいたのが、バブル期の地上げで程なく立ち退きになった古いアパートが立ち並ぶ地域で、案の定、一度隣のアパートのおじさんに深夜「うるさい!」と怒鳴られたこともありました。そんなこんなありながら、Bのようなリスペクトできる友もできました。
今更ながら、時代が変わってもビートルズの曲はいろんなアイディアや刺激に溢れ、色褪せない独自の輝きを見せてくれます。そして私の人生の節々で、思い出に彩りを添えてくれています。今は少しはマシになってきたアコギ(ちょっと高いやつ)で、『Here Comes The Sun』を弾いてはナルシスティックな自己満足を感じています。還暦過ぎて夢を語るとしたら、できるなら昔のバンド仲間と集まって『All You Need Is Love』を皆で合わせられたらな…と思ったりします。当時バンドの目標はツェッペリンでしたけど。