恋の思い出話は他人のために書くのではないことが、今回試してよく分かりました。自分の気持ちを整理するため書くものに相違ありませんでした。「あの時」を思い出しながら、忘れかけていた細部が新発見するかのごとく鮮明に思い出された時、フラッシュバックで胸が高鳴り、還暦男の心に青年の初々しさを蘇らせてくれるのでした。ある意味、変更されるはずのない過去の経験を解釈し直すような契機になったのです。あたかもあの時の自分に戻ったかのように。
終わったはずのストーリーにもう少し続きがあります。今度こそ完結編です。
恋の浪人生活 September そして9月は
心機一転、東京での大学生生活が始まった。1985年4月。まだまだバブル全盛、プロ野球は阪神の快進撃、バース掛布岡田のバックスクリーン三連発を生放送で見た。
経済的に学費を親に出してもらうことでさえ申し訳ない状況だったので、風呂なしトイレ共同、換気扇のない簡易キッチン付き6畳一間、月2万2千円、築50年くらいの安アパートを、大学の生協が斡旋していた中の1件だけ見に行って即決した。歩いて5分の銭湯は当初260円だった。見知った人は誰もいない新世界だったが、振り返ると幸い身の回りには「いい人」ばかりだったような気がする。大学では今でいう「いつメン」の友達もできて、中には親しみを込めて接してくる女性も何人かいた。しかし心にはいつも「あの人」が居続けていた。今でも自信を持って言える、少なくとも大学1年の9月まで、1日たりとも彼女のことを考えない日はなかった。いるはずのない新宿の人込みや池袋駅の向かいのホームに並ぶ人の中に、無意識に彼女の姿を探してしまう自分がいた。
インターネットなんてなかった時代である。連絡先も聞いているわけはなく、状況を打開というか展開させる手立てはなかった。あきらめて忘れてしまうしかないことは自明の理なのに、それができず悶々とした日々が夏休みまで続いた。エアコンもない東京の夜は何もなくても寝苦しいのに、眠れぬ夜に拍車をかけるかのようだった。夏休みに入り苦しみから逃れるように帰省することにした。
地元に帰ると、同様に帰省していた高校の友人とたまたま会って、わずかの間だがつるんで一緒にいることになった。以前から仲が良かった訳ではないが、その時何か波長があったのだ。後から分かったことだがお互い叶わぬ恋を抱えていたのである。
オレはNさんのことで苦しい胸の内を彼には打ち明けることができた。そして彼も彼の片思い(相手は俺も知っている高校の同級生)の顛末を教えてくれた。お互い傷口を舐め合うような感じではなかったのだが、苦しみの詳細を言葉にして語ることが心の癒しになるのだと感じた。
「会ってくればいいじゃないか」恥も外聞も捨てて欲しいものを求めるなら、それは必ず手に入る。彼は大体こんなことを言った。その言葉が、既に気持ちの飽和点を超えていたオレの後押しとなり、オレはある決意をした。
9月に入り東京に戻った。後期の講義が始まる前に行動を起こすことにした。予備校がある(彼女の大学もある)街に行き、とりあえず彼女に連絡を取るための手がかりを手繰ろうとしたのだ。変なこだわりから、彼女がいる街には時間がかかることを承知で全て普通列車でに行った。自分ながらホントに効率悪すぎる。でもそれを一種の儀式のような踏むべき手順と感じたのだ、その時は。
半年ぶりにその街の地を踏んだ。可能性があるとすれば…と思案して予備校のチューターの先生に相談することにした。無理を承知でNさんの連絡先を教えてもらえないか聞いてみたところ、やはり疑いの目で見られてしまった。「個人的にどうしても伝えたいことがあって」と自分なりに真剣にお願いした。次の世代の受験生の仕事がある中、先生も事務所で少し相談してくれていた。しかしやはり断られてしまった。今考えれば当然である。
万事休す。たが実はあと一人手がかりとなる人がいた。Nさんの友達で自分たちの2次試験の後に、数人で立ち寄った喫茶店でバイトをしていた人(Oさんという女性)だ。頼みの綱はあとはこの人だけだった。オレは意を決して思い出の中の道順をたどり、その喫茶店を目指した。
後から考えれば、Oさんがこの時間にバイトしているかどうか、いやもう辞めているかもしれないとか、何の確証もない試みだった。しかしその時のオレは、どんな困難にも対応してやるという覚悟ができていたように思う。腹を括る、開き直る、覚悟を決める、などという言葉の意味を実感できていたんだと思う。
今振り返ると、実は店に入った時の記憶が定かでない。どんなやりとりだったか、どうしても思い出せないのだ。でもその時Oさんはいた。そして彼女に事情を話してNさんの家の電話を教えてもらえないか聞いたと思う。普通考えれば、そんな状況ですぐ教えてくれる人などいるはずはないのだが、結果的にはオレはNさんと連絡が取れ、日を改めて会う約束をすることができた。もしかするとOさんがNさんに確認してくれたのかもしれない。まだ携帯などない時代の話だから、このプロセスに複数日要していたのかもしれないが、本当に記憶がつながらない。
ともかく、バツの悪さとか他人の疑念の目とか、自分の本心をさらけ出すのに障害となるようなものをはねのけて、オレは本懐を遂げることができたのだ。これまでの人生を振り返っても、これほどまでに後先考えず、体面も気にせず、遮二無二突っ走った経験はない。実際はもっとぶざまでみっともない、しどろもどろの不審者でしかなかったかもしれない。たとえそうだとしても、今振り返ってオレは自分を恥じたりしない。この時のオレは自分の限界を確かに超えようとしていたのだ。よくやったと思う。周りにはテンパっている不器用な若造にしか見えなかったのかもしれないが。
ついにNさんに再会することができた。ここも記憶の詳細が定かでないところがあるのだが、相変わらず事前のシミュレーションなど全く意味をなさず、挙動不審でトンチンカンなやりとりだったような気がする。ただその時はもう会えただけですごくうれしくて、これで最後となる覚悟ができていたつもりだったが、どう収拾つけるかの見通しもなく、結局「ずっと好きだった」の一言が言えず、あちこち歩いたあと、2次試験のあと2人だけで行った喫茶店のカウンターに並んで、やはり彼女の電車の時間までとりとめのない話をしていた。
時間がきて、その日は彼女をホームまで送っていった。もう最後なのに、電車に乗り込んで振り向いた彼女に「来てくれてありがとう」という言葉さえ言えず、酸欠の金魚のようなオレを彼女はじっと見つめていた、と思う。鳴ってしまった発車のベルに、更にうろたえるオレだったが非情にも扉は閉まった。その時、扉のガラスに近づいた彼女の唇が『またね』と言ったように見えた。そして彼女はやさしく微笑んだのだ。
彼女はたぶんオレの、ためらいと苦悩の表情が和らいでいく様子を見たと思う。やはり彼女は大人の女性だった。ガラス越しに見えた彼女の唇の動きがオレの心を救ってくれた。彼女が積極的にオレにまた会いたい訳ではないことは、あの日の彼女の雰囲気からなんとなくはオレに伝わっていた。恋愛の面ではまだ大学生になりきれていない浪人生のようなオレとは違い、彼女は以前と違う華やかさを身にまとっていることが、会った瞬間に分かっていた。彼女の新しい世界での生活は始まっていたのだ。彼女の唇の動きはオレへの励ましのエールだったことを、オレは瞬時に理解した。
彼女の唇の動きに対して、オレはもう精一杯頷くしかなかった。そして動き出した電車の窓に顔を近づけた彼女の微笑みが、彼女を見た最後になった。9月の夕空のもと、街並みに走り去る電車が見えなくなるまで見送り、オレの恋の浪人生活は終わりを告げた。
オレは東京に戻り、実質半年遅れで自分の大学生活を始めることができた。初めての東京の冬の入口頃には「彼女のことを考えない1日」を少しの驚きとともに経過し、Nさんのことは少しずつ思い出のアーカイブとなっていったのである。完
ずいぶんと長くなってしまいました。自分を抑えたつもりでしたが、言葉があふれ出してしまった感があります。そのまま載せました。我慢強く読んでくださったことに感謝します。