東京経済オンラインのコロナウイルスデータによれば、新型コロナの第三波もだいぶ落ち着いてきましたね。

 

それにしても第一波のときと同じく、緊急事態宣言が出される頃には下火になっているというお粗末さです。テレビをつければ新型コロナのことばかり。この大騒ぎにはいい加減辟易してきます。

 

政府は指定感染症の修正も行わず、WHOより何故か厳しいPCR検査の閾値設定で擬陽性を多く生み出し、病床数やお医者さんは欧米に比べて沢山いるのに専門病棟不足で医療崩壊。

 

陽性になっても殆んどが無症状か軽傷で、多くが家庭内感染というのに何故か飲食店悪玉論。いつもスケープゴートにされる飲食店はとばっちり。あまりにお粗末で酷すぎます。

 

これらは昨年の夏には議題になっていたことですが、結局何も改善せず同じ過ちを繰り返すばかり。

 

とはいえ、民主的に選ばれた政府の要請には従うのが当然です。ただ、このような対応をみていると、日本の官僚的な組織体系があらゆる意味で劣化しているのではないか?と感じることが多々あります。

 

変化に弱い日本の官僚制度、組織体制そのものの欠点なのかもしれません。「失敗しない」、「批判されない」が最優先の、自己保身至上主義的といいますか、「お役所的」な発想は至るところにみられますね。

 

江戸時代は階層社会であり、格式を重んじる社会でありながら、そうした建前的な武士文化とは別に、個人事業主として自主自営の中から芽生えた庶民、町民の資本主義経済があったために、格式による硬直性を打破するような柔軟性をもたらしていたというのがこの本の主題でもあります。

 

考えてみれば江戸の太平の時代は武士より農民や町民が経済で儲ける時代であり、そうした底上げがあったからこそ徳川幕府も安定した年貢を徴収することができ、300年に及ぶ安定した統治を可能としたわけです。

 

ところが経済が長期的な低迷により社会が硬直化していくと、「失敗しない」、「批判されない」ための「お役所的」発想が優位となり、それにかかわるコストも膨大になり、より社会が硬直化していくという悪循環が生じるような気がします。

 

日本は製造業の技術力があっての国力なわけですが、半導体にしても海外に盗まれ全滅。かつて世界をリードした松下などの企業はほとんどハウスメーカーみたいになってしまいました。

 

日本の長期低迷をどのように打破していくのか。歴史に学ぶことは多いにありますが、だいたい学校では断片化した歴史しか学びませんし、振り返ってどこで失敗したのか、どこが良かったのか、総括する風土もありません。そもそも我々日本人のメンタリティの問題もありますが、ファクトに基づく通史的な歴史観を持つことの重要性を磯田道史氏は訴えています。まさにその通りだと思う今日この頃です。。