今年もあと数日となりました。

 

今年は静かな正月になります。まだ事務所は書類の山で混沌としていますが、暮れの大掃除恒例の窓拭きをしたり(窓が多いと大変です)、庭の落ち葉を集めたり、子供たちがいると日中は大騒ぎで何もできませんが、少しづつ新しい年を迎える準備が整ってきました。

 

 

本屋で目が留まり読んでみたのですが、なかなか考えさせられました。

 

アメリカ大統領選挙はとても怪しい状況になっています。数々の選挙不正や憲法違反が明らかになり、司法までも責任逃れ。バイデン次期政権も既にスキャンダルまみれで早々にボロボロになりそうだし、世界に対してアメリカの失墜を曝け出しており、その凋落ぶりは目に余るものがあります。

 

世界をあまり単純化して考えすぎるのはよくありませんが、やはりいま起きているのはグローバリズムとナショナリズムの対立ではないかとつくづく思います。

 

世界のグローバル化は避けて通れないわけです。グローバル化によって劇的な速度で世界の格差が減り、貧困が減り、世界は間違い無く良い方向に進んでいます。

 

とくに覇権国のアメリカは世界中にドルを配り巨大な既得権益を生んできました。金融もそうだし、エネルギーもそうだし、戦争ですら巨大な利権です。

 

しかしトランプ大統領はグローバル化によって没落した中間層を復活させようと、ドルを国内に還流させ、世界中の米軍を撤収させ、グローバリストたちと対立姿勢を鮮明にしました。アメリカは覇権者ではなく挑戦者に戻るのだと。

 

これがアメリカがグローバルの中核にあることで儲けてきた既得権益層からの激烈な摩擦を生んだことは明白です。これは死活問題ですから、もはや思想対立というステージを遥かに超えた、目的のために手段すら選ばない、相手を蹴落とすためには嘘だってなんだってつくというような内戦状態ともいえる状況に陥ってきたのだと考えています。

 

この大きなグローバル化の流れに逆行するとは何事だと。アメリカは元来、小さな政府で自由な市場経済に任せておけば良い方向に向かうはずなのに、政府関与を肯定し、強いリーダーシップで自国中心の国家主義的な傾向を強めることは、世界史の針を巻き戻すことに他ならないと。

 

人種差別問題や女性の人権問題などは、確実に浸透して世界はよい方向に進んでいます。これはグローバル化やその反動のナショナリズムとは関係ないところで、世界はその価値観を確実に受け入れていると思います。

 

ところがそれすら政争の道具として利用され、相手に悪い印象を抱かせるためのツールに利用されています。信じるものの違いから相手を非人格化して手段を選ばず攻撃することに正当化し、その悪意すら正義に変えてしまいます。そしてその根幹の部分には世界を動かしている人たちのカネの問題に帰結していくものと考えています。この対立の傾向は今後もますます顕在化していくように思います。

 

私はどうか世界は正直でいてほしいと切に願っていますし、正義は貫かれてほしいと願っています。