これまでも過去のブログで日本は人口あたりの高度生殖医療施設数が世界一多いことを触れてきました。一方で分娩を扱う病院は顕著に減少しています。この日本特有の現象の背後には何があるのでしょうか?
 ひとつには産婦人科医師が分娩のリスクと負担を避けて不妊治療に転向している現象があるように思われます。もちろんそのさらなる背景に少子化があるのは確かですが、契機として福島県でかつて起こった大野事件が産婦人科医に大きな影響を与えたことは否めません。大野事件について詳しくお知りになりたい方は大変有名な事件ですのでネットなどでお調べになってください。
 この頃はマスメディアの煽りもあり、医療訴訟による医療崩壊が進行していました。産婦人科のみならず麻酔科や外科系で医師の離職や診療科の閉鎖が相次ぐなど社会現象となり、立ち去り型サボタージュという言葉まで生まれました。
 分娩を扱う産婦人科医の減少は、周産期医師の夜間呼び出しなど勤務の過酷さをさらに増大させ、新たな離職を促すという悪循環を生み出しました。高度生殖医療は夜間呼び出しが無い上にリスクが少なく、一方で収益は大きいため、転向する医師は増加していきました。
 そもそも産婦人科を目指した動機には新たな命の誕生に医師として携わりたいとする意思があったのではと思うのですが、不妊治療で妊娠すれば卒業と称して、周産期を扱う他施設へ紹介するようになりました。そして双子など多胎妊娠により母体リスクとともに周産期産婦人科医の負担を増大させないよう、単胎移植を原則とする日本生殖医学会の指針まで作成されました。これは高度生殖医療による多胎妊娠に対してそれほど制約の無い米国とは異なる点です。
 一方で男性不妊専門医はどうしてここまで少ないのでしょうか?それは男性不妊治療の臨床効果が低いからでは決してありません。今月サンフランシスコまで米国男性不妊専門医で全米ベストドクターを称されるPaul Turek先生のクリニックに2日間研修に行ってきましたが、男性因子の治療により81%のカップルが妊娠に至っており、其のなかで高度生殖医療を必要としたのは13%に過ぎませんでした。
 小生はアンドロロジー(男性学)を学び実践するため泌尿器科の道に進みました。その姿勢は医師になって26年になって全くブレがありません。泌尿生殖器の癌や疾病の修練も積みましたが、全て最善の男性不妊治療を行うためのプロセスでした。
 アンドロロジーは泌尿器科ではかつてメジャーな分野の一つで小生の母校である東北大学からもアンドロロジー領域で数多くの教授を輩出しました。しかしここ10年間でアンドロロジーの功績で医学部教授になった泌尿器科医はおりません。その背景には小泉改革の流れで国立大学法人化が促進され、国立大学といえども収益を上げないと評価されなくなってしまったことがあります。そもそも男性不妊に関する検査や治療の保険点数はあまりにも低くどれも不採算となっています。そのためアンドロロジーを目指す若手泌尿器科医には魅力の無い分野となってしまったのです。その反面ロボット手術や新規抗癌剤など医療費を湯水のように使う分野がもてはやされるようになりました。
 したがって不妊カップルがより自然に近い妊娠をより低いコストで達成するには、まず男性不妊診療を採算部門とすることが必要なのです。ちなみにTurek先生の初診料は950ドル(約10万円)で、精索静脈瘤低位結紮術は9000ドル(約100万円)、コーネル大学のSchlegel先生のMD-TESEは20000ドル(約200万円)です。健康保険は一切適応されず私費診療で行われています。日本でここまでの設定にするかどうかは議論の余地がありますが、日本で顕微授精によって1人出生するのに862万円(日本産婦人科学会公表の採卵周期あたりの妊娠率が5.8%と1治療周期あたりの治療費を50万円として計算)かかっている現実を考慮すると、男性不妊治療にかけるコストの適正化についてそろそろ社会の理解が得られて来ても良い時期に来ているのでないでしょうか?