書こうかどうか迷いましたが・・・
はじめにお会いしたのは、1999年の関東大会の会場だったと思う。
結成4年目の我々は、埼玉代表として関東大会に出場していた。
その会場で、山下さんに声をかけられたのが最初。
当時の自分たちは、フットサルが好きでただがむしゃらにやっていたけど
フットサルのことなんて全く知らなかった。
情報といえば、大きい大会に出てそこに出てくるチームを生で見たり
試合を見に行ったり、BFCに行って日系人にコテンパにされたり
そこで、古ーいブラジルのビデオをもらって擦り切れるまで見たり。
そんな自分たちの前に現れたのがピヴォだった。
フットサルの情報が詰まった、雑誌だった。虎の穴とかよく参考にしていた。
残念ながら1号ではなく2号の表紙。1号は施設においておいたらいつの間にか誰かが持って行ってしまったよう。
こんなコーナーを持たせてもらってました。6回ぐらいやったんだじゃないかな。
当時はまだ大学4年の時でしたね。
この号には、関東大学リーグを立ち上げるきっかけとなった、第1回カレッジフットサルフェスタの結果も載っています。優勝はキミシマR。この名前を聞いて反応できる人は、相当なF-NETマニアです。
この前も書いたけど、この時代はほんとにフットサルに熱い人たちが多かった。
その情熱の一つは、スーパーリーグというプロリーグを目指したリーグを立ち上げた。
残念ながら消滅してしまったけど、それが今の関東リーグを整備するきっかけになった。
もっと言えば、今のFリーグのもとになったといっても言い過ぎではないだろう。
あのリーグがなければ、競技フットサルの普及はまだまだ先になっていたかもしれない。
みんなが本場のフットサルに少しでも触れようと参加していたBFCの大会やリーが天竜など。
そこにいた日系人たちは、間違いなく日本のフットサルのレベルを上げた立役者たちだろう。
現在の大阪の監督であるドゥダとか。
この雑誌もそんな情熱から生み出された雑誌だろう。
だから、創刊当初の本誌にはそんな情熱がたっぷり詰まっていて
フットサル愛好家たちはこぞってこの雑誌を手にしていたはずだ。
この雑誌の果たしてきた役割は非常に大きかったと思う。
今回残念ながら、休刊が発表された。
発表の前に販売店向けにはすでにそんな知らせが届いていた。
しかしウェブの更新は続いていたので、もしかしたら別の方法でなんて思ったりもしていた。(もしかしたらまだその道もあるのだろうか)
これだけニッチな業界で雑誌を出すことの勇気。
そして、それを69回にわたって続けてきた11年。
私も経営者の端くれなので、その苦労がわかるつもり。
この雑誌の制作にかかわってきたすべての方に、感謝と、労いを。
そして何らかの形で復活できる日を願っています。
お疲れ様でした。

