母の背中、の噺 | ピン芸人 かけるの公式ブログ

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お笑いだけでなく、お芝居やダンス、パントマイム、殺陣、料理など自分の好きなことを通して、日々の出来事をお伝えしていくよしもとの芸人 かけるの公式ブログです。



新たな職業「エンタメ屋さん」の
令和時代のピン芸人、かけるです🙅


僕は小さな頃から夢がありまして
それは料理人になることだったんですね。
芸人としては、もう周りを笑わせていたので
当時から活動していたものだと思っています。
もちろん、芸人になることも夢でした。


で、ですね。
よく聞かれる質問なんですが
いつから芸人目指したの?とか
なんで芸人やりたいと思ったの?とか。

けど、料理に関してはあまり言われたことないんですよね。


で、自分自身もなんで料理人になりたいと思ったのか
全くそのキッカケが分からないんですよ、。

けどね、今ようやくわかった気がします。


僕ね、学校の宿題で一番好きだったのが「音読」なんですよ。
むしろ、音読以外の宿題って何があったかほぼ覚えてません。
なんだろ?たぶん漢字ドリルとか??


でね、今でも音読や、朗読するのが好きなのは
小学生の時のこの経験が生きていると思うんです。

で、僕が音読をする相手は晩御飯の支度をしながら
台所に立っているお母さんなんですよ。
正確には、お母さんの背中なんですよね。


そっか。

だから僕は料理が好きなんだ。
ってふと思ったんですよ。なぜだか電車の中で。


あ、そう。寒天ゼリー食べたからだ。(笑)

小学生の時に、年に数回だけ学校で色んな講座を受けられるというのがあったんです。地域のおじいちゃんおばあちゃんが来て、遊びや太鼓やダンスや、英語や〜とかだったと思います。で、僕はいつも料理をする講座に行ってました。周りに男の子はほぼ居なかったですけどね。


そこで一番最初に作ったのが、サイダーで作った寒天ゼリーだったんですよ。それとカレーだったかな?その寒天ゼリーに感動した覚えがあって、今寒天ゼリーを食べたときに思い出したんです。


そして、「そもそもなんで僕は料理が好きになったんだろう」って。
で、思いを巡らせ、記憶を旅した結果。
母の背中に行き着くわけです。
だって、僕、お家ではしょっちゅう料理を手伝ってたわけではないですし、自ら作ったりってこともなかったですね。テレビでは料理番組見たりはしてましたが、母の背中だったとはな。
 


そんな僕も今じゃ




こんな料理人になりました。




父と母、そして僕、繋がってゆく。


かける