無明橋 -後編- 001 | 『清流』 無明橋 Ⅲ [2017年7月-] | 中高年の子守唄 | 太平洋を越えて | 日曜版 読者だより

『清流』 無明橋 Ⅲ [2017年7月-] | 中高年の子守唄 | 太平洋を越えて | 日曜版 読者だより

『清流』 - 太平洋を越えて - 2011年夏、カナダ・アメリカ旅行記ーー ヴァージニア州に住む友人夫婦に誘われ、バンクーバー、カナディアン・ロッキー、ナイアガラ、ヴァージニアと気ままに旅した13日間の旅行記

2001年8月19日 (日)

清流 | 無明橋 Ⅱ | sk5132 | 001 次に何を書くかについては、「中国紀行」が終わりに近づいてきた頃から、いやもっと以前から考えていたことだが―――
「やっと旅行の話も終わったんなあ。それで、もう次の話は決まっちょるん」
と、女房さんが問う。既に、大方の決心はついているのだが、
「うーん、まだ考えよるところ」
と、とぼけて見せる。1年前、「いつになったら中国の話を書くん」と、しきりにせついてきたように、「何か望みでもあるのかな」と素知らぬ顔で言葉を待ったが、今回は特にないよう。希望を述べうるまでもなく、「次は『無明橋』の続きだな」と、女房さんにも察しがついていたのだろう。
 また「無明橋」について書く―――
「なーにえ、またか。こりゃまた長ごうなるだい」
 もう勉強の話はやめて、いい加減に山の話に変えてもらいたいのに…と、読者のTさんやMさん辺りから不満の声が聞こえてくるよう。
「無明橋って、ありゃいったい何の話じゃったんな。無明橋たあどげな橋で、どきいあるんやらさっぱり分からんじゃった」
 そんな文句も聞こえてきそう。まったく、TさんやMさんには申しわけないが、読者のなかには、「無明橋」を期待してくれている人もいる(はず)。前編で連載していたときにも何度か書いたが、「無明橋」は、子育て真っ最中の読者のために、「少しでも、子育ての参考になれば」という思いで書き綴ったものである。
 いよいよ来年4月から、学校完全週5日制のスタートと共に、第三次教育改革と呼ばれる教育の大改革が始まる。そうした今こそ、小中学生の親である読者の皆さんのために「無明橋」を続けねばならない、と思うのである。
 「無明橋」前編では、子どもたちの家庭や地域での生活が、「かつての時代」とどう変わってきたのか、また、さかんに行われている自然体験や社会体験が、いかにおかしなものであるかについて、実際の体験をもとに書いてきた。これから始まる後編においては、場面を学校のなかに移し、教室での授業や行事などが、昭和3、40年頃から今日までどのように変わってきたか、また、この先どのように変わっていこうとしているのか、について書こうと考えている。
「たった5日の中国旅行が1年もかかったんじゃき、3、40年も前から書きかかりゃ、こりゃいつ終わるか分らんど」
 Mさんの呆れたような苦い表情が目に浮かんでくるが、2年5か月にわたって書いた前編のようなことはないと考えている。
 ところで、足のケガで6月末から入院生活を続けている同じ職場のI先生に、106回に及んで書き綴った「無明橋」前編を整理して冊子に綴じ、
「まあ、退屈しのぎに読んでみませんか」
と渡したら、「2年以上かかって書いたというのに、申しわけないけど2日で読んでしまいました」というお礼の手紙が返ってきた。東京から初盆に帰って来て、数日泊まり込んで手伝いしてくれた妹に、同じものを見せると、
「これ、悪いわあ。もう、夜眠らせてくれんに」
と、寝不足の目をこすりながら文句を言って、盆明け、「友だちに読ませるから」と、東京へ持ち帰ってしまった。だらだら書いたようで、案外いいことを書いたんだ、と妙に自信を持たせてくれるI先生や妹の話だったが…、「無明橋」後編、果たして読者の期待に応える内容にできるかどうか、多少心配でもある。が、書きかけたからには、とにかく目的の無明橋にたどり着き、その橋を渡らねばならない。

 前置きが長くなってしまった―――
「無明橋って、どんな橋か先に教えてよ」
 またしてもだれかさんにせがまれそうだが、無明橋は、後編で問題にしようとしている「学校のなかの子どもたち」を書き終えた先に、見事な姿で架かっている。